先週末の日曜日の午後は、先生のプレイエルのコンサートに行ってきました😊。


このプレイエルがすごくて、たしか1838年製で、ほぼほぼオリジナルを維持されるべく大切にされているそうで、素晴らしい楽器なのです。私も何度か触らせて頂きましたが、とても繊細で扱いが難しく、今のピアノとは全然違います。楽器というより、歌う生き物みたいなお方で、そのお心とご機嫌を伺いながら一緒に歌って頂くような感じで、私にはもう本当に高嶺の花的な楽器ですが、先生が弾かれると、ピアノと先生が一体化されて、達人の馬術の試合みたいな感じ?となり、よく知った曲のよく知ったフレーズが、こんな音楽だったのか😳、と目が覚めるような、ベートーヴェンやショパンやブラームスの耳にあったのはこういう音だったのかとタイムスリップしたような気分になります。


今回のプログラムは、"ロマネスク〜心の迷宮にたゆたう〜"と題して、オール ブラームスでした。このプレイエルのコンサートのシリーズは、いつもテーマがあって、内容が濃いのです。その都度伝えたい世界観があって、それをプログラムノートと、解説とピアノの三位一体で届けてくる感じで、素晴らしいのです。昨日も、バラードと118という渋目のチョイスのプログラムを、個人宅のリビングで、解説を交えながら10数名で聴く、音楽に、とても近くで触れられる貴重な機会でした。一周回って、翌日とかにプログラムノートを読み返すと、なるほどそういうことか、と一層深くで書かれていることが理解できるような気がします。とても余韻が長く残るコンサートなのです。ホールでのコンサートとこのサロンのコンサートは、大寄せの茶会と四畳半の茶室でのお茶事くらい違います。多くの人相手のパフォーマンスではなくて、心が通い合う近さで、作曲家と、作曲家が生きた時代と、楽器と、現代とをつなぐ時間と、ピアニストと、聴衆とでの、何層にも重なるコミュニケーションがあるのです。先生のプレイエルでのショパンも素晴らしいですが、今回のブラームスも、ひとりのおじさんの心のひだにそっと触れさせてもらうような、物思いにふけるブラームスの息遣いを隣で聞いているような感じで、あぁこういう演奏があるのかと思いました。


ピアノ芸術の世界は深いです。


演奏会後は、コンサートにご一緒させて頂いた同門の方々と一緒にプレイエルを弾かせて頂きました。


↓とても素敵な熟年マダムが平均律の1番のプレリュードを弾かれていましたが、お人柄とピアノ愛と今ここにいる喜びが溢れていて、とても素晴らしかったです🥹。いつも長く先生のレッスンに通われている同門の皆さまのピアノを聴くと思うのが、どの曲もどのフレーズも本当に素敵だということ。音楽への愛とリスペクトが深く、音楽への心からの慈しみをもって弾かれるのです。こういう演奏に憧れます🥺。私はまだまだこの域には程遠いのですが、自分の演奏はもちろん、指導もここを目指して精進せねばと思います。


去年、オーバーホールをされたそうで、中身は入れ替えていないけど、色々なところを磨いてサビをとったそうで、響きが伸びやかになり、音が若返っていました。


実は今回は、お客さんが少なめだったのと、皆さまご遠慮されていてあまり積極的に弾きに行かれる方がいらっしゃらなかったので、こんな機会ないし!と思って図々しく、私ひとりでたぶん15分以上弾かせて頂いてしまいました。


でも、先生の素晴らしい演奏の後にお耳汚しで、皆さまごめんなさい🙏と思うと、私は基本的に押してしまう音が詰まるタッチなので(それを直したくて今の先生にお世話になっているのですが)、音を出すのが怖くて怖くて、萎縮した上に色々考え過ぎて身体に力が入っていたようで、え〜ん😭、なんでこんな蚊の鳴くようなしょぼい音しか出ないんだろう😭、と思いながら弾いていたら、コンサートの企画&解説をされている方が、見かねてこちらにいらして下さって、腕の動かし方や指の意識の仕方などをアドバイスして下さったのです。そのアドバイスが魔法のように効いて、ドツボから抜けることができて、少し音が変わり、ものすごく嬉しかったです。萎縮した時に、無意識無自覚なまま、どういう風に身体に力が入るのか、どうしたらそれを解凍することが出来るのかをものすごくはっきりとわからせて頂けて、素晴らしく有り難い経験になりました。神様からのプレゼントのようなレッスン時間でした✨。


というわけて、超幸せな気分で帰路についたのでした。先生の演奏を聴いたあとは、いつも、温かい幸せな気持ちで心が満たされます。幸せな週末でした。


それにしても、学ぶって楽しいです。