両親の夢を見た
はっきりと父と母だった
その夢の中で『411』という数字が表れて
何かしら2つの物事を表す数字として感じられた。
『あぁ411ってお父ちゃんの誕生日でもあるね』
と夢の中で考える私...
目が覚めてから考えた....
え~っと、411ってなんのための数字だったっか???
思い出せない💦
宝くじでも買うか???
そういえばお盆だったな。
お盆に両親の夢を見るのもなかなか趣あるね、ははは....
両親の夢を見た
はっきりと父と母だった
その夢の中で『411』という数字が表れて
何かしら2つの物事を表す数字として感じられた。
『あぁ411ってお父ちゃんの誕生日でもあるね』
と夢の中で考える私...
目が覚めてから考えた....
え~っと、411ってなんのための数字だったっか???
思い出せない💦
宝くじでも買うか???
そういえばお盆だったな。
お盆に両親の夢を見るのもなかなか趣あるね、ははは....
自分の中で最近の合言葉は
『レリゴレリゴ』
多様性とかz世代とか言われるようになって久しいが、
そういうものを受け入れて肯定しなくていけないような風潮がある。
だけど彼らに対し個人的に受け入れられない感情とか
怒りいら立ちみたいなものを感じることが多い。
いや、むしろ多様性を利用しすぎてない?
z世代をいいように使ってない?
『大人としてどうなの』
『人としてどうなの』
『仕事においてそれはどうなの』
『それってただの自己主張、ってか我が強いだけじゃないの?』
『むしろただのワガママ???』
グッと感情を抑えてみても
やはり納得いかない場面は往々にして起こる
そんな時は『レリゴレリゴ』とつぶやいて
自分の感情を手放す手放す
怒ってみても仕方ない
怒りは自壊なのだから
でも怒ることは仕方ない
『あぁ~私怒ってるわ~納得できないわ~』
と言った感情をしっかり見つめてから
『レリゴーレリゴー』と声に出して手放す。
怒りを昇天させるのだ lol
時に私自身うっかり
『腹立つわ!』
って口にしてしまうようなとき、
一緒にいる同僚が『サリさんアナ雪ですよ!』と言ってくれる。
そして一緒に『レリゴレリゴ』と呪文を唱える。
ひさしぶりにブログを開いた。
懐かしい、過去の自分の記録を見て
5年ぶりにブログを再開しようと思う。
と思ったはいいけど、
ログインができない💦
あぶなく諦めそうになったわ。。。
今日は31回目の結婚記念日
明日は父の89歳の誕生日
父が生きていたら89歳なのか.....とあらためて時の流れを想う。
ハーフムーンベイに行ってみた。
LAのビーチと違って波も荒々しかったけれど
お花がたくさん咲いて美しい海岸で『海は広いーな大きいなぁ~』というイメージが好き。
2020年1月21日
新しく日本からやってきた社長に呼び出される
『部長職を降りてもらいます。』
理不尽な理由での降格処分に心がぽっきり折れた
2020年2月2日
兄から電話
『おかんが倒れた、あかん』
2020年2月3日日本時間
母の死
2020年3月
COVID-19
コロナの蔓延
2020年4月
自宅勤務が始まる
2020年5月
新社長からの陰湿ないじめが始まる
『あんた達はA級戦犯だよ。ははは』とまで言われた
自分が言っている意味が分かっているのだろうか?
2020年9月
父の3回忌
お墓の建立の予定だったがコロナで入国が叶わず
2020年11月17日
夕方会議の招集がかかる
同じ部署の5名がレイオフとなった。
全くの会社都合
不当解雇
犯罪者のように人事部の監視付きで私物を箱に詰め
社屋を追い出された。
社外に出るまでは一切誰とも口をきいてはならないと。
私たちが何をしたというのか?
2020年11月18日
いつものように仕事をしている夢を見ていて
目が覚めた。
心が石のようになった。
もう仕事はないんだという想いに押しつぶされそうになった。
吐き気がした。
母が死んだときのような喪失感で死んでしまいそうだった。
昼間は庭に出て陽だまりの中にいた
その時だけが心を正常に保てた
突然の退職を知った友人や取引先の人たちが連絡してきた。
電話の向こうで泣き出す人もいた。
毎日何度もラインやテキストをくれて、私が孤独で死なないように
ずっと寄り添ってくれた友人たち。
彼らが居なかったら、自殺はしないまでも私は心が凍って死んでいただろう。
2020年11月19日
娘たちに失業保険の手続きや、失業後の様々な手続きを手伝ってもらった
ふとemailを見ると懐かしい人から連絡が来ていた。
もう何年も連絡を取っていないヒデさんだった。
『サリーさん、お元気ですか?新しい会社を立ち上げたので僕たちと働きませんか?』
2020年12月1日
一緒に不当解雇された🅼ちゃんと一緒にサンフランシスコに向かった。
LAから6時間の運転だ。
2週間だけの予定でヒデさんの仕事を手伝うはずだった
2020年12月2日
ヒデさんと一緒に働く竹さんと逢った。
竹さんとも昔一緒に働いた仲間だ。
ヒデさんと竹さんの会社には他にも知っている人がいた。
みんな笑顔で優しくて他人を思いやる素晴らしい人たちだった。
仕事は確かにきついけれど
誰も他人を否定などしない。
感謝の言葉がポンポン飛び交う
2週間の予定が3週間になる。
2020年12月17日
このチームで働くことを決めた。
家族と離れて単身赴任だ。
2020年12月24日
🅼ちゃんと暮らすアパートを契約した
もう後戻りはできない。
家族には...娘にだけは伝えた。
夫はどういうだろう?
反対されても後戻りする気はなかった。
2020年12月28日
LAへ戻る
途中大雪でこわかったが無事到着
家に着くと夫が迎えに出てきた
『お帰り』
もう何年も夫からそんな言葉を聞いたことがなかった
2020年12月30日
まずは娘たちとこれからのことを話した。
私の単身赴任の事。
娘たちには別の考えがあったことを知る。
夫と相談
自宅を売る決心
息子の高校卒業を待って私の新天地へ引っ越す
娘は看護士としての頂点を目指してマスターコースを進みたいという。
これから学生ローンを組んだら彼女の人生のほとんどをその支払いで費やすことになる。
親ができることはひとつ、自宅を売り彼女をサポートする。
私はまだまだ働けるし、私の収入で十分に家族を養える。
まだ大丈夫。
今度の会社はサラリーマンで終わらない夢のある会社だから。
今私ができることは娘の夢をバックアップすること。
娘とは離れることになるが息子も夫も一緒に暮らせる。
2020年12月31日
56歳になった。
私の2020年は56年の人生で最も波乱の年だった。
悲しく、淋しく、苦しく、悔しくネガティブなことがわんさかてんこ盛りの1年だったけれど
たくさんの執着を手放せた。
断捨離の1年だった。
もう大丈夫
これからはいいことしか起きないよ。