今日はネットでこの記事をたまたま見て、言葉の感じ方は人それぞれだと改めて感じましたピンク薔薇

以下の文章はネットから記事を引用していますキラキラ

10月14日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で松本は「ついつい(亡くなった人を)かばってしまいがちなんだけど、やっぱり『死んだら負けや』っていうことをもっとみんなが言わないと」などと発言。
1週間以上たってもTwitter上では賛否両論の声が止まない。

賛成派は《この言葉で死なないぞと思える子もいる》《否定する人は優しく見えるだけで何も解決出来ない》と、松本の発言が持つ強いパワーを評価しているようだ。

いっぽうで《追い込まれた人間をさらに追い込むような言葉》《こんな言葉に感動するのは、むしろ加害者の側》といった、松本の発言の”負の側面”を指摘するツイートも。
「死んだら負け」という言葉は、自殺の責任を自殺者自身に押し付けてしまいかねない。
さらには、そのような状況に追い込んだパワハラやいじめの加害者の責任を薄めてしまうということだろう。

そんな中で脚光を浴びたのが、松本の先輩でもある明石家さんまの座右の銘。
もちろん今回の問題とは関係ない文脈で生まれた言葉だが、以下のように関連づけるツイートが投稿されている。

《明石家さんまさんの「生きてるだけで丸もうけ」のほうが、立ち止まらせる力(止めさせる力ではない)があると思う。》

《北風と太陽の話もそうだけど、松っちゃんの「死んだら負け」って強い言い方よりも、さんま師匠の「生きてるだけで丸もうけ」のほうが柔らかいし、さすが旅人脱がすの上手いなって思う。》

「生きてるだけで丸もうけ」は、さんまの長女・IMALU(29)の名前の由来ともなった座右の銘。
一見すると、松本の「死んだら負け」を単に言い換えただけのようにも思える。
しかし「生きてるだけで丸もうけ」には、誰かを責めるニュアンスがない。
むしろ死を選ぼうとするほど人生に絶望する人にも、優しく響く言葉に聞こえる。

松本人志と明石家さんまという大物芸人2人の生き様まで映すかのような、似て非なる2つの言葉。「死んだら負け」と「生きてるだけで丸もうけ」、あなたはどちらに共感するだろうか。

同じ言葉を伝えても人によって受け止め方は様々で、
プラスに励みになることもあれば、マイナスに落ち込ませて嫌悪感を抱かせる要因になることもあると思います。
私は松本人志さんがおっしゃった『死んだら負け』という言葉自体に反論は全くありませんが、
明石家さんまさんの『生きてるだけで丸もうけ』の言葉の方が何倍も好きですウインクラブラブ


私は大学院生の頃や就職先の職場で、周りの人達からの言葉で不愉快な思いをしたことが少なからずありましたガーン
勿論、私だけでなく、多くの人達も大なり小なり、同じような経験はしていることと思います。
そんな風に言うなんて…ムキーもやもや、態度や言い方に気を付けてほしい…ムキーハッ、悪意と抑圧を感じる言動ばかりするなんてどんな家庭に育ったのムキー!?…などなど心の中で叫び(笑)、
思い出すだけで嫌な気持ちが蘇ることもありますが、
明らかに悪意や抑圧に満ちた言葉は別として、言葉にはいろんな解釈があるとふと感じましたうずまき

期待して成長してほしいから厳しく言ってきたり、大事なことに気付いてほしいから助言してきたり、正しい方向に進んでほしいから提案してきたり、言ってきた相手には色々な考えがあるのだと思いますキラキラ
でも、相手を不快にさせたならば、真摯に謝り、その言葉を発した背景を相手に説明することも大切だと私は思っています赤薔薇
それで、相手が理解してくれなかったり、あからさまに嫌な態度を取ってきたならば、それはそれで受け止めるように努め、距離を置きますうずまき

以前の私は相手からの不快な言葉を受け止め過ぎて、とてもしんどい思いをしたことがある為、
不快や疑問に感じた時は伝え方や感情を大事にしながら、
『その言葉は悲しかったです。』や『その発言は誤解を招くのではないでしょうか。』といった返答をするように努めています赤薔薇
相手の意見や考えは自由だけれど、私側の意見や考えも自由で、人間関係やコミュニケーションは50:50の対等な関係だと私は思っており、
それが大事なコミュニケーションだとも感じていますニコニコ
以前の我慢ばかりして辛い思いをし続けた私は、違和感があったり、疑問に感じる時は今は負の感情も相手に伝えるように心がけていますピンク薔薇

今日はこの記事を読んで、いろんなことを感じましたニコニコハート