転倒後母が弱っていく姿を見るうちに死生観について書かれてある本を多く読むようになりました
そのことでいつか来る母との別れを受け入れられると思ったからです
そして今は四十九日過ぎたら母がもっと遠くに行ってしまうようで、四十九日を過ぎたら母との関係はどうなるのかそんなことが書かれてある本を読んでいます
望むことが書かれてそうな気がして手にした「人は死んでもまた会える」というタイトルそのまま受け入れられそうな本を読んでみました
本を読んだまとめだけ書きます
『私たちはもともと極楽世界にいたのだ。そこが故郷なのだ。だから死んだら故郷に帰るだけ。
私たちはお浄土からちょっとこの娑婆世界にやって来ている。だからお浄土に帰るのはあたりまえ。
お浄土は再会の土地。みんなその時が来たら帰る場所。
だから必ず誰もがお浄土に帰ったら懐かしい人や会いたかった人に再び会える。』
その時に、先にお浄土にいかれた人に娑婆世界で別れたあとの人生を報告する
苦労したこと、悲しかったこと、失敗したこと、そんな中でも嬉しかったこと、
そんな思い出がお浄土へのお土産になるそうだ
たくさんお土産を持ってお浄土へ帰ることが、先にいった人へいちばん喜ばれること
だから今思い出をいっぱい作りましょうと書かれてありました
自慢話はお土産にならないらしいです
それよりも失敗談のほうがいいお土産になるから、娑婆世界では苦労話をたくさん作りましょうって書いてありました
そうそう、生きている時に伝えそびれたこと、
謝りたかったこと、
そんなことも今モヤモヤ負い目に感じてなくていいそうです
なぜなら今どれだけ負い目を返済しようとしても返済は不可能
返済は受け取ってくれる人がいるからできることであって、返す相手が死者となってこの世にいないのだから返すことはできないのだから
伝えそびれたモヤモヤした気持ちも必ず再び会えるのだから、その時に伝えればいいそうです
母にもっと優しくしたかったこと、
話したかったこと、
あれでよかったのかなと後悔すること、
たくさんありますが今はもう負い目に思わなくていいんだなと思えました⟵単純
母もひと足先に故郷に帰っただけ
そしてわたしもいつか帰る
そしてそこで必ず会える
そう思えばこれから先も寂しくない、とりあえず今はそう思えています
スピリチュアル的なことには興味がないのですが、大切な人が亡くなったのだからこれくらいのことは思っていてもいいかな
これからも母がよく言っていた
“生きている人優先”で、
家族を始め周りの人を大切に生きていこうと思います
四十九日を前に少しバタバタしていたのでブログ更新休んでましたが、またぼちぼち書きますのでよろしくお願いします(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)