母の夢を見た
亡くなってから3回目かな🤔
間違って呼び出しベルを鳴らしてしまったら母が駆けつけてきて、間違いだと知り笑って戻っていくというリアルな夢
3回に共通しているのは 明け方見る夢だということ、母が笑っていること、そして走っていること笑
そう、いつも走っていて立ち止まると微笑んでくれる
そしてその顔を見て自分がどこか安心している夢だ
きっと今はたくさん動いてたくさん笑っているのだろう
仏教では7日ごとに極楽浄土へ行けるかの裁判があって、それを7回終えた最後の判決の日が四十九日
もう4回目の裁判を終え、母も少し向こうの生活に慣れてきたのかもしれない
母はスポーツ万能で、体を動かすことも好きだった
歳をとってからは散歩か体操か水泳か太極拳くらいだったけれど体を動かしていた
散歩は1日1万歩を目標に、必ずカウントして雨が降っても欠かさないような人だった
全ては私たち夫婦に歳をとっても努力でこれだけのことはできるということを見せて、私たちが同じ歳になった時に自信に変えて欲しいという願いのためだった
そして転倒しないためにも体を甘やかさないようにしていたようだ
母が亡くなってから知ったのだが、親しかった人が昨年転倒が原因で数ヶ月後に亡くなっていた
その人のこともあったからなのだろう、
とにかく転倒はダメだ、みんなに迷惑をかける、と事ある毎に言っていたのだがちょっとした気の緩みで転倒した
ちょっとした気の緩みというのは部屋で肩にかけていたタオルを、その日は間違ってそのままかけて洗面所に行ってしまったらしい
洗面所の鏡に映る自分の姿を見て、
あらタオルかけて来ちゃったわと思った瞬間バランスを崩して転倒した
歳をとるって、こんなことでも転倒に繋がるんだ
転倒後、介護生活が始まったのだけどしばらくはどうして転んだんだろう、転んだだけでどうしてトイレに行けなくなったんだろうといつも呟いていた
後ろを振り返らない母がはじめて後ろばかり見ていた時間だ
いつも「思いがけず転んでそれで突然トイレに行けなくなったから、突然トイレに行けるようになる気がする」と言っていたけれど、この言葉をよく思い出す
転んでできなくなったことはトイレだけじゃないけど、トイレにこだわるんだねとよく夫と話題にしていたのだけど最期の最期までトイレに行こうとしていたな
多分忘れることのない思い出だ
介護生活になって家族に迷惑をかけていることをいつも気にしていた
私たちは短い期間で負担になっていなかったから気にしていなかったんだけど…
そんなことよりいつも出歩いていたのに動けなくなって、毎日がどんなに単調でつまらないものじゃないか心配していた
だからいつも走る母の夢を見るのだろう
元気に走って笑って、色んなところに出かけて、会いたかった友だちみんなに会ってほしい
もっと一緒にいたかったし、わたしがもっと介護の勉強をしていればもっと生きていられたかもしれない
悔やむ気持ちもいっぱいあるけれど、願いはたったひとつ
元気で楽しく過ごしていてほしい
気づいてみると11月も終盤、
冬の到来ですね☃❄
体調に気をつけて過ごしましょう