このところ気温の変化が激しいですね。
体調崩さぬよう、ご自愛下さい。
さて、今日は「ママが生きた証」という本をご紹介します。
例によっていつもの図書館で借りました。
出版が2012年なので、有名な本なのかもしれませんね。
![0716_1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150716/23/happyfamily415/9f/91/j/t02200293_0800106713368025538.jpg?caw=800)
今まで実用書しか読まなかった私ですが、この実話にぐいぐい引き込まれました。
その理由は、自分の生活圏が本の主人公の舞台で、情景がよりリアルに想像できたためかも。
私にも似た経験があったりして、感情移入し易かったのかもしれません。
キーワードは・・・
「がん」
「治療による赤ちゃんへの影響」
「赤ちゃんか嫁さんか」
「出産を巡る両親との対立」
「鹿沼」
「栃木と東京の往復」
「船橋」
「子供のディズニーデビュー」
「あきらめない医師」
「3.11」
「千手山公園」
「後手後手となる」
「生子神社・泣き相撲」
なんのことかと思いますよね
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
キーワードに関係する、本と私の経験が重なる部分を少し紹介します。
振り返れば数年前、私の嫁さんは半年くらい治まらない激しい頭痛と戦っていました(夜は唸って殆ど寝れない日が多かった)。
私も一緒に戦っているつもりでした。
嫁さんは、栃木の実家から離れた千葉県の船橋で2人の子供の保育園の送り迎え、家事・仕事をしていた。
一生懸命な分、ストレスも多かったのではないかと、今更ながらに思う。
当時私は、金銭的な心配がないよう仕事をしっかりこなすのが自分の役目と思っていたな。
著者である旦那のたけちゃんと同じ気持ち。
でも、がんに自分がなって初めてわかった。
金銭的な心配より、自分の側にいて、自分を心配してくれた嫁さんの有難さに。
優先すべきは病気になった本人だ。
自分の的外れ振りが情けない。
話の中で、たけちゃんは美恵さんの治療(+α)のため栃木に引っ越す。
ここはやや強引な結び付けかもしれない。
3.11で家族と家を全てなくし命の儚さを思い知らされた私。
頭痛が続く嫁さんを見かねていたご両親の「できれば栃木に帰ってきて欲しい」という思いに何としても応えたかった。
そこでまず、栃木に戻るべく転職活動を開始し、嫁さんの治療に専念できるよう徐々に仕事を減らしていった。
転職活動をする間、嫁さんの病院探しも並行で行う。
20件近く廻った。
結果的に私の病院選定や予約のタイミングが後手後手だった。
私より先に、嫁さんのお姉ちゃんが、汐留シティセンターセントラルクリニックの清水先生を探し出してくれたのである。
私が舌癌の手術をしたA病院の外来でも非常勤で働いている。
一日にMRIと3度の診察をしてもらい、やっと付いた病名が「眼窩筋炎」。
一種の免疫疾患で、自己免疫が強すぎ、自分の健康な細胞まで攻撃して起こる炎症らしい。
清水先生は脳神経の専門のため、自身が客員教授となっている東京女子医科大を紹介してもらう。
女子医大では「もう少しで失明でしたよ」と言われました。
でも、病名が付いただけで嫁さんはとても喜んでいた(他の病院では片頭痛としか言われなかった)。
その理由は自分を頭痛から必死の思いで救ってくれた清水先生の熱意のおかげだと私は勝手に思っている。
本の主人公、美恵さんの主治医、聖路加国際病院の矢形先生も、美恵さんとお腹の赤ちゃん、どちらも助けるべく奔走。
ハーセプチンという抗がん剤が、美恵さんの乳がんに効果が認められていたが、胎児に重大な副作用を及ぼす。
日本国内では妊婦さんに投薬した事例はない。
そこでMDアンダーソンがんセンターに臨床事例がないか問い合わせ、投与を決断。
この時の美恵さんの喜びも、もしかしたら、うちの嫁さんと一緒の部分もあったのではないかなぁ、と読みながら思いを巡らせてみたりする。
その後も美恵さんは闘病を続けるが、治療の合間に家族と記念撮影がしたいということで、千手山公園に無事に生まれた赤ちゃんとたけちゃん3人で行くことに。
私も嫁さんが退院してから、思い出作りに家族で行ったことを思い出す。
千手山公園は映画「恋空」のロケ地だったようです。
そうでなくても、高台にあって、桜と見渡す景色が綺麗な公園。
私も1度行って、好きになりました。
それから、美恵さんの望みであった泣き相撲への参加。
私は鹿沼市民ではないが、子供3人みんな参加している。
特に一番下の次男坊の時は思い出深い。
嫁さんの親族と、私たち夫婦で意見がぶつかり険悪なムードになった。
嫁さんの服用しているステロイド剤で赤ちゃんに後遺症が出るリスクがあるとの事。
ご両親からすれば、後遺症がある子供を育てる苦労を娘(私の嫁さん)に掛けたくない、娘の視力と引き換えに生まれてくる子供ならいらない、という意見は当然なのかもしれない。
嫁さんに対するご両親の親心だ。
でも夫婦の中では、震災で失った3つの命の分、子供が欲しいと当初から強く希望していました。
私も嫁さんですらも心がグラグラ揺れっぱなし。
だから、たけちゃんの気持ちの変化も少しわかった気がした。
でも、後遺症が残っても僕らの家族だ!と夫婦内で覚悟が決まる。
それからやっとの思いで生まれてくれた次男坊は、私たち家族4人の宝物のように感じました。
とにかく健康で育って欲しい。
そんな切なる思いから、泣き相撲も特別な思い入れで参加しました。
・・・と、私の様に共通点が多くなくても、本の中の2人の生き方や選択を噛みしめながら読める本ではないかと個人的には思っています。
あ、現在2:30・・・
熱中して夜更かししてもうた
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
おやすみなさい。