武田百合子の『富士日記』をフレンチのビストロで読んでいる人がいて、わたしもいま読んでいるので危うく話しかけそうになりました。いまの富士近辺とは全く違う景色や風俗がでてきて面白いです。

献立が書いてあるのもいい。

 

料理って、アイデンティティの一部である人も多いと思いますが、マリーズ・コンデの『料理と人生』がすごくいい。

この人の小説を読んだことがなかったので挑戦しようと思います。それで、こういう面白い書き手を見つけるとすぐに、研究できるかできないかを考えてしまう癖があります。

しかし、カリブ海の文学を本格的に論じるには、たとえばコンデの場合は、フランス語ができないと原文が読めないから難しい。

 

 

最近、自分と研究対象の距離があることについて考えていました。

わたしは、人から言われてそれを研究しているところがあるので、好きとか嫌いとかあまりないのですが、熱量がたりないのかなと。

でも、対象と距離がある程度取れないと、冷静に論じることもできない気もしますし、自分の在り方がプラスになる場合もあるから、このままでいいかな思います。

ただ、最近またプライマリーを読み返してみて、文章や構成がうまいなと思うし、すごくよい書き手だということは感じました。

それから、急に依頼があってやることになった研究発表は、当然勉強しなくちゃいけないことが多いんだけど(厳密にいうとその専門じゃないから)、その研究対象は自分の専門よりも研究手法が幅広く進んでいるのでとても勉強になることに気がつきました。

 

博論に入るか入らないかばっかり考えていたし、自分の論文の価値がどうであるかにこだわっていたけれども、好きにやるっていうのもいいかもしれない。

 

本当に真面目にやりすぎているので、ちゃんとしてないと気持ち悪いんだけど、自由に好きなように時間も使ったり、締め切りもいつも守りすぎているので、ぎりぎりになってもいいのかもしれないし。

ただ自分を変えるのは実は難しい。

 

マリーズ・コンデが、伝統的なレシピじゃないやり方をやると、怒られたり嫌がられた話を書いていましたが、新しいことをやるのって難しいものです。