クリエイティビティに欠けている
それに、だいぶ大人になってから気づいた。
自由になんでもやっていいよ。
と言われると、
何をやったらいいかさっぱりわからなくなる。頭の中が白くなる。
自由にどんな絵を描いてもいいよ。
自由にどんなふうに踊ってもいいよ。
自由に文を書いていいよ。
小学校でそう言われると、困った。
友達のマネをしたり、先生の発言から、これが正解と思われるものを探した。
決められた題名があったり、決められた枠やこれが正解というお手本があると、その通りにするのは得意だ。
クリエイティビティがない自分を、残念だと思った。
自分が育った環境のせいだと思った。
育った場所では、
思ったことを自由に発言することや、やりたいことを自由にやることは、できなかった。
自分の強い意志なんてあったら、わたしの幼少期は、もっと生きづらかったと思うし、自分の意思があるなんて、、、、
「こうしたい」を思ってしまったり、感じてしまったり、そして、それを発言してしまったりしては、わたしが育ったあの環境では生きていけなかったから、封印した。感じないようにした。そんなものは、ないことにした。
周りの大人が言うことが正解で、わたしが感じることは不正解。
感じるだけ、思うだけ、で、どうせできないのだから、自分がただ傷つくだけだ。
だから、自分の「やりたい」は、無かったことにした。初めからないことにした。
てことは、
実は、
わたしには、強く、こうしたい、ああしたい、あれが欲しい、これが欲しい、あれがいい、これがいい。と
意思があったと言うこと。
強いクリエイティビティを持っているからこそ、封印したのだ。
初めからなかったのなら、封印しなくてもよかった。
ない のだから。
て、こ、と、は、、、、
わたしには、クリエイティビティがあるってことじゃないか!!!!!😳😳😳😳😳
多分、おんなじような人いるよね。。。
満開❤️
