わたしの父は
母を殴ったり
私たち兄弟を殴ったり
父の父と喧嘩したり
大声を出して怒鳴ったり
しょっちゅうだった。
それが、スタンダード。
父である祖父が死んでも、
わたしが大学生になって家を出た後も、
弟が大学生になって家を出た後も、
ずっとそうだったらしい。
そんな父からは、皆離れて誰も寄り付かなかった。
2011年の東日本大震災の後、
わたしは
一度だけ会いに行ったことがあった。
もう、母とは離婚していたし、家族で住んでいた大きい家に一人ぼっちで暮らし、さぞかし寂しくしているかと思っとたら、そんなことはなく、出て行った母、連絡をくれない弟、そして、わたし。に対して怒っていた。
ひとりぼっちになっても
まだ、まだ、勢いのある父に、少し安心したのと、やっぱり関わらなきゃよかったとその時は思った。
去年、祖母が亡くなったのを機に、久しぶりに父に会ったら、穏やかで、普通の人になってて、びびった。
脳梗塞をして
脳に障害が残り、言葉もうまく思い出せなかったり、体を自由に動かせなくなったらしい。
大声を出したり
怒鳴ったり
暴力を振るう父が
わたしの中で
スタンダードだったので、
穏やかな父には全く慣れなかったけれど、やっと普通の人っぽくなったな。とも思った。
昔の父とは違うと分かっていても
父に会おうと思うと緊張するし
体も心も硬くなる
ばあちゃんは、父に向かって
「オメのことなんて産まなきゃよかった」
と言っていたらしい。
この話は
わたしが保育士になってから、
父と別れた母から聞いた。
その話を聞いて
当時、保育士として働いていたわたしは、
父はああなって、仕方なかったんだ
と、思った。
わたしが働いていた保育園で、
子供に向かって「あんたなんか産まなきゃよかった」と言った母親がいた。
母親よりも、その子のことを考えると、苦しくなって、わたしは、勤務中に泣いた。
アルコール臭い体で、車を運転して、子供を迎えにくるような母親だった。
その子は、保育園から脱走したり、他の子を傷つけたり、しょっちゅうだった。
母が子に
生まれなきゃよかった。いなきゃよかった。
なんて
1番大好きで、自分の存在を1番肯定して欲しい人に、命を否定された ショックと哀しみは、想像しても涙が出る。
と思ってたら、、、
うちは、身内にいた。。。。
父のことは嫌いだけれど、母からその話を聞いたときに、ばあちゃんは、なんてことを言ったんだ。と、涙が出た。その場にいた母には気づかれないように。
今
祖母は死んでしまって
父が大きい家に1人で住んでいる。
元気かな。
お盆会いに行こうか。
あんなに、周囲に怒鳴り散らしていたのに、脳梗塞をして、不気味なくらい、話を聞いて、不気味なくらい、怒鳴ったり怒ったりしなくなった。
でも、やっぱり怖い。
