引っ越しをしたり、
新しい教会に行ったりと、
かなり環境が変わりました。
久しぶりにログインしたので
書いています。
形の信仰は、私にはありません。
もう伝道にも行っていません。
間違っていたのではなく、今必要なことが変化したのだと捉えています。
書写を、騙されたと思って、実践しています。
書写に意味がある、というより、
想いの力を実感しています。
想うこと、つまり祈ることですね。
思考のエネルギーは、光よりも早く伝わるとか…
確かにそうだ、と思いました。
いま、父と2人暮らしをしています。
離婚して傷付いた父のために、父の幸せのためにできることはないか…そう想って過ごすのと、
自分の幸せだけを想い過ごすのとでは、全然違います。
父のことをおもいながら生活するようになったら、自然と父が明るくなってきました。
それを見て、結局は自分自身が幸せになって、こういうのを幸せっていうんだなぁと…
新しい教会でみ言葉を聞いたときに、
人の幸せを自分の幸せに想うことが、本当に心からの幸せなんだよ、と。
さりげない言葉だけど、簡単なことにこそ神様が宿ってるというか、すごく感動して。
むつかしく考えることないなぁって思ったんです。
幸せにしたい、幸せになりたい
逆のようで同じなんだと
当たり前のことを忘れがちです。
私は特に、むつかしく考えるあまり本質を逃しやすいので
神様がわからなくなったら、教会に訪ねるもよし、自然に身を委ねるもよし。
形にとらわれず
自分なりのやり方で神様と本当の幸せを求めていきたいし
そうやって生きていけることが感謝だと思います。
まとまりないけど
元気に頑張っています。
まずは、自分の家族を、幸せにできるよいに、娘として、また兄弟には長女として、できることを頑張っていきたいです。足元が大事ですから。
イメージすることが、大事なのかな。
むつかしくても、幸せをイメージすること。
思えば両親が愛し合っていた姿を観たことがなくて
それをイメージしたくても、できないんです。
だから自分で創り出して、両親がいつか愛し合ってくれるように
だってそれが天国の在り方だし
生きる目的だし
なによりの幸せだから
それを祈りながら
自分もそういう家庭を持てるように
頑張っていこうと思う次第です。
長くなりました。

