最近の先生たちは、価値観の多様化の中で、
「世の中の流れに自分を合わせなきゃいけないのかな」
と思いながら仕事をしている人が多いように感じます。
私自身も、似たような迷いを通ってきました。
一度は思い切って、
「ピアノ以外の人のレッスンはとりません」
と決めていた時期があります。
ところが、ちょうどその頃にコロナ禍になりました。
家に引きこもる人が増え、マンションでは
「ピアノがうるさい」
「◯時までにしてください」
といった貼り紙が出ることもあったそうです。
そこから私は、
- 生のピアノは、これから「騒音」として見られてしまうかもしれない怖さ
- でも、それだけ制限されると「仕事として成り立たないかもしれない」という現実
この2つの間で、揺れるようになりました。
そんな時、あるピアノの生徒さんの保護者の方のエピソードを聞きました。
その保護者の方はご自身もピアノを弾かれる方で、
使っていた電子ピアノが古くなり、音が出なくなってきたので買い替えを検討されたそうです。
最初は、知人からアップライトピアノを譲ってもらおうと思っていたそうですが、
なんと壁の間口のサイズが数センチ足りず、物理的に置くことができないと分かり、断念したとのことでした。
そこで、
- 「じゃあ、もう安いのでいいか」で終わらせずに
- 家電量販店
- 地元の楽器店
と、あちこち足を運び、
自分の耳で試弾して、情報を集めながら、一台の電子ピアノを真剣に選んでくださったのです。
その話を聞いて、私は心を動かされました。
- アップライトは物理的に無理、というはっきりした制約がある
- それでも「まあ、安いのでいいか」ではなく
- わざわざお店を回って、時間と手間をかけて、真剣に選ぶ
その姿を知って、
「ここまで考えてくれる人には、私もちゃんと応えたい」
と、心から思えたのです。
それ以来、私はこの保護者さんのエピソードを「逆向き」に考えるようになりました。
ここまで真剣にピアノのことを考えてもらうには、
私は何をどう伝えたらいいんだろう?
と。
この保護者さんにとって、
「まあ、安いのでいいか」
ではなく、
「ここは真剣に考えなければ」
と立ち止まったことは、
その方なりのお子さんへの「いい教育」「良い体験」だったのだと思います。
コロナ禍で、学校が
「登校するか、休むかを家庭で選んでよい」
という方針を出した時期がありました。
私は保護者さんに、
「どうなさいますか? それによって、レッスンはオンラインになるかもしれません」
とお伺いしました。
その時、その保護者さんは
「実際に学校に行って体験することが大事だと思っていますので、学校には行かせます」
とおっしゃいました。
その言葉を思い出すと、
「ただ安いから」「なんとなくの流れで」ではなく、
- 子どもにとって、親ができることは何か
- どんな体験をさせてあげたいのか
そこを一度じっくり考えたい、という思いが伝わってきます。
だからこそ私は、
保護者の方からその気持ちを聴き取る場をつくって、
一緒に真剣に考えたら、
きっと考えを変えたり、具体的に動いたりしてくれる方がいるのではないか、と思うようになりました。
今、私がやろうとしているのは、
- 「世の中が電子ピアノ主流だから、私も価値観を折らなきゃ」ではなく
- 「本気で考えてくれる人とだけ、一緒にピアノの環境を整えていく」
という、相手の真剣さを前提にした折り合い方です。
なので、私の中では
- 自分の価値観を「丸ごとへし折る」わけでもなく
- 相手に「完全に合わせる」わけでもなく
「私の軸はここにあります。
そのうえで、こういう事情の方とは、こういう形なら一緒にやれます」
という、
「軸」と「現実」の両方を大事にした着地を選んでいるつもりです。
