曲から始まったレッスンと、「続けさせる」という親の役割
ピアノ教室の仕事は何か?
私は「生徒がやめずに継続できるようにすること」だと思っています。
自分の仕事として、私は何人もの生徒が生徒のその時の都合だけでやめていきました。
「塾が忙しくなったから」「練習をしないから」「練習をする時間がないから」等…。
子どもがやめないためには、技術指導だけでなく、保護者の価値観とのすり合わせがどうしても必要です。
今日は、そのことを強く感じるきっかけになった、中学生の〇さんのエピソードを書きます。
人ではなく「曲」から入ってしまった失敗
私は本来、レッスンは「人から入る」タイプの先生です。
生徒の年齢、これまでのキャリア、性格を見てから曲を選ぶ。
ところが今回は、最初に出会ったのが生徒ではなく「曲」でした。
合唱祭で弾くことになった合唱曲。
難度としては、初級のキャリアから見るとかなりの飛び級でした。
リズムパターンもメロディパターンも多く、合唱を支えながらリードする伴奏。
大人であっても簡単ではありません。
中学生の〇さんが教室にやってきました。
つまり、「〇さん」ではなく、「心の瞳」という“曲のレベル”からレッスンが始まってしまったのです。
先生は職人、親は「自分の子」を見ている
ピアノの先生は、基本的に「職人」だと思います。
音の組み立て方、練習の段取り、仕上げまでの道筋。
毎日そのことだけを考えているので、
同じ曲を一年弾き続けることも、「まあそれくらいは普通」と感じてしまいます。
一方で保護者は、
- ピアノを用意すること自体が大仕事
- 電子ピアノも「このくらいでいいかな」で買う
- 「これで上手になったらいいな」と、ゆるく期待して来室する
ということがよくあります。
先生の頭の中にある「必要な練習量・期間」と、親の中の「なんとなくの期待」には、最初から大きな落差があります。
今回の保護者の方も、
「一年以上同じ曲を弾き続けるのはどうなんでしょう。」
「発表会はその時の実力を出せばいいと思っています」
とおっしゃいました。
ここには「うちの子は“もう頑張っている”」「今ある実力で、そのまま出せればいい」という願いがにじんでいます。
先生の立場から見ると、
- 〇さんはいま、どう見ても初級の段階
- 曲の要求レベルとキャリアが合っていない
- 努力はしているが、「わかる」と「弾ける」は別
という現実があります。
ここで、先生(私)は職人的な視点から「足りないところ」を見てしまい、
親は「できる子でいてほしい」視点から「否定された」と感じてしまう。
このねじれは、どの教室でも起こりうるものです。
「やめさせる」決断と、先生の本音
勉強、部活、気持ちの落ち込み。
保護者は「子どもがつらいのを見ていたくない」と思うと、わりとあっさりピアノを手放してしまいます。
でも、弾けなくなって困るのは、子ども本人です。
塾が始まっていったんやめたあと、再開してみたら
「全然弾けなくなっていてショックを受ける」
これは現場ではよく見る現実です。
先生の側としたら、
- 「ここでやめたら、楽しめるレベルには届かないのに」
- 「でも、無理やり続けさせることもできない」
という苦しさがあります。
この苦しさを、そのまま保護者にぶつけてしまうと、
「厳しい先生」「うるさい先生」で終わってしまう。
だからこそ、先生には「自分の考え方のルーツ」を一度見直す時間が必要だと感じます。
YouTubeで手コピーで弾いた曲と、「やりたい」から曲を連れてくる
話を〇さんに戻します。
ある日のレッスンで、〇さんがこう話しました。
「昔、YouTubeでアニメのある曲を見て、映像の手を見ながら覚えた曲が思い出せるかも。
楽譜はないけれど、その動画はまだあると思う」
ふつうの意味で言えば、これは「楽譜がない曲」です。
多くの先生はそこで「楽譜はないの?」で終わるかもしれません。
でも私は、「それなら私が楽譜に起こせるかもしれない」と思いました。
動画から音と手の動きを拾って、楽譜にする。
それなら、必要なのは私の採譜の時間だけで、〇さんは「自分が覚えていた曲」を思い出しながら練習していけます。
ここでようやく、レッスンの軸が
- 「曲から人」ではなく
- 「人のやりたいから曲を連れてくる」
に戻りました。
私の教室で「成し遂げたいこと」
私は、自分のピアノ教室でこういうことを成し遂げたいと思っています。
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ピアノの技術の蓄積は大切。でも、それだけではない
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自分の努力ややり方を試行錯誤する「場」にすること
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「ピアノは大変だけど、練習すれば弾ける曲が増える」と実感してほしいこと
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高度な曲も、計画性と努力でひきこなせると知ってほしいこと
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自分の見栄や理想と、現実とのあいだで葛藤しながらも、
「大変だけど、やっぱりピアノを弾くのは楽しい」と思えるようになること
ピアノの先生は、専門職としての視点が強く、素人の視点を持ちにくいところがあります。
一方で、保護者は感情と不安が先に立ちます。
この両方をつなぐために、私は「ピアノ教室 親の会」をつくり、
気軽な「うちのピアノ自慢」や本音を共有しながら、
「やっぱりピアノ続けさせようかな」という気持ちが芽生える場を目指しています。
