こんにちは☀️
ブログ9日めの2つめです😆


朝、ブログをUPした後、
なんとなく、久しぶりに
OSHOさまの言葉が聴きたくなり、
『朝の目覚めに送る言葉』ー もう15年以上前に買った本を開いてみました。

5月13日(正確には5か月13日め)を開いて読んだら、心にじんわり染み込むようで、
書き写したくなったので、
記録しておくことにします。



month 5 .13


人生はギフト(贈られるもの)だ
しかし、それに気がついている者はわずかだ
なぜなら、
神は常に声高に知らせることをしないからだ
あまりにも静かであるがゆえに
私たちは、尊いものが贈られることに
全く気がつかない
そして、神は感謝されることを待ちはしない
神は与えることをひけらかしたりはしない
「存在の中で一番大切なもの、
命、意識、愛 をあなたに与えよう」
などと、ささやいたりはしない
神はいかにして与えるかを知っている
それが、贈ることのアートだ
贈りものを与えられる者は、
そのことを知っていてはならない
そうでなければ、神は面目を失ってしまう
きまり悪い思いをするだろう


それゆえ、神は匿名の贈りものをする
何が贈られたのかを

知ろうと意図的に努力しない限り、

その贈りものに気づくことがない方法でだ
そして、それに気づいたとき
人はさらに多くを受け取ることになる
贈りものに感謝の心を持ったとき
さらに多くを受け取るに値するようになる


自分に起こることすべてについて
神に感謝するとき
人は限りなく多くを受け取るようになる
なぜなら、感謝の心が開かれていくにつれて
その受容性も増していくからだ
すべてが贈られるものであることを、
心に留めておきなさい
自分に起こることはすべて、
すばらしい贈りものだ
すべての苦しみ、喜び、嘆き、快感、
幸福も不幸も
何もかもが美しい
なぜなら、それが人の成熟、
究極の開花のために貢献するからだ





以上でした。

OSHOさまの言葉は、いつ読んでも、深いですね。


それから、本の中に、

何枚かのOSHOの写真が入っているんですが、

OSHOの眼差しが、本当に、

静かで、温かくて、ものすごく深い。


目では見えないものも、

OSHOにはすべて見えていて、

すべての生きとし生けるものを、

あるがままに受け入れている感じ、

それぞれの本質をすべて見通している感じ。


水が足りなくて、

ちょっと枯れかかってしまった一輪の花でも、

OSHOに見つめられたら、

自分の中の命✨に気がついて、

「よっしゃ〜!」って、お日さまに向かって、

すくすく、ぐんぐん育っていってしまいそうな、

そんな眼差し👀 

(え! どんな眼差し? 笑)



OSHOが言われるように、

『匿名の贈りもの』

に感謝できる自分でありたいです✨




きょうもお読みいただき、

ありがとうございます。



よい夜🌃をお過ごしください。