カランバのレストランの思い出(その2)
久しぶりに台風の襲来で、マニラ首都圏が混乱しました。
この記事もおおむね書いてあったのですが、停電、通信網の混乱でアップできませんでした。
災害は人々の生活に不便をもたらしますが、しばらくしてそれを乗り越えてまたいつもの日常が戻ってきます。
私も商売に支障をきたしましたが、落ち込んだ分この週末に盛り返すよう頑張ります。
この台風で被害に遭われた方々のお見舞いを申し上げます。
前回からの続きとなります。
8年前にカランバ市で経営していたレストランは、市役所の隣という立地もあり、昼も夜も多くのお客様にいらしていただいて忙しい日々を過ごしていました。
多くのお客様が、食事をしながらワイワイガヤガヤ楽しいひと時をすごし、最後に 「 美味しかったよ! 」 と言いつつ、またご来店いただける・・・・・
私達夫婦が飲食業の楽しさを知ったのもこのレストラン経験からでした。
市役所が移転するという話は突然聞かされました。
これは市役所が移転した後の建物をそのまま使って、大学になったところの写真です。
(画像は2005年当時のものです)
平屋でこじんまりとした田舎町の地味な市庁舎でした。
それが離れたところに移転したのですが、その新市庁舎がこれです。
(画像はウィキぺディアより借用しました)
立派な市役所ですね。
※ 当時、自分で撮った写真が数多くありCD-Rに焼いて保存してあったのですが、それを引っ張り出してパソコンで見ようとしましたが、画像が現れませんでした。(泣)
市役所が移転してしまってから、閉店を決意するのにそんなに時間はかかりませんでした。
レストラン営業の最後の夜、全てのお客様が居なくなってから、女房のマリセルとワインで乾杯し最後のディナーをしました。
(写真は2006年のもので、当時女房34才、私48才です、笑)
閉店するということは寂しいことではありましたが、それよりも得るものの方が遥かに大きかったレストラン経営だったことは間違いありません。
話を現代に戻します。
シャングリラ・プラザにHappy Cream Puffを開業してから、実は神様からちょっとした課題をいただきました。
それは・・・・・
このモールの新館5階のエリアは、食事を目的のお客様が大変に多いということが解ってきました。
要するにお客様がお店を覘きに来るのですが、 「 あっ、食事はできないんだ・・・ 」と言いながら他のレストランへ行ってしまいます。
もともと、シャングリラモールの方には 「 カフェ・レストラン 」 というカテゴリー登録をしてあったので、食事を出すことは何の問題もありません。
それに輪をかけるように、シャングリラモール側からも、 「 この新館5階でお店をやるなら、ぜひ食事メニューをやって欲しいのだけど・・・・・ 」 と言われてしまいました。
結局、カフェだけをするお客様が少ないことと、過去にレストラン経験があるいうことから、食事を出すカフェ・レストランにするという決断をすることはそんなに難しいことではありませんでした。
ここで一旦アップします。
次の記事では、カランバのレストランが現在の私に何をもたらしたかを書いてみたいと思います。
※ ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます
この記事もおおむね書いてあったのですが、停電、通信網の混乱でアップできませんでした。
災害は人々の生活に不便をもたらしますが、しばらくしてそれを乗り越えてまたいつもの日常が戻ってきます。
私も商売に支障をきたしましたが、落ち込んだ分この週末に盛り返すよう頑張ります。
この台風で被害に遭われた方々のお見舞いを申し上げます。
前回からの続きとなります。
8年前にカランバ市で経営していたレストランは、市役所の隣という立地もあり、昼も夜も多くのお客様にいらしていただいて忙しい日々を過ごしていました。
多くのお客様が、食事をしながらワイワイガヤガヤ楽しいひと時をすごし、最後に 「 美味しかったよ! 」 と言いつつ、またご来店いただける・・・・・
私達夫婦が飲食業の楽しさを知ったのもこのレストラン経験からでした。
市役所が移転するという話は突然聞かされました。
これは市役所が移転した後の建物をそのまま使って、大学になったところの写真です。
(画像は2005年当時のものです)
平屋でこじんまりとした田舎町の地味な市庁舎でした。
それが離れたところに移転したのですが、その新市庁舎がこれです。
(画像はウィキぺディアより借用しました)
立派な市役所ですね。
※ 当時、自分で撮った写真が数多くありCD-Rに焼いて保存してあったのですが、それを引っ張り出してパソコンで見ようとしましたが、画像が現れませんでした。(泣)
市役所が移転してしまってから、閉店を決意するのにそんなに時間はかかりませんでした。
レストラン営業の最後の夜、全てのお客様が居なくなってから、女房のマリセルとワインで乾杯し最後のディナーをしました。
(写真は2006年のもので、当時女房34才、私48才です、笑)
閉店するということは寂しいことではありましたが、それよりも得るものの方が遥かに大きかったレストラン経営だったことは間違いありません。
話を現代に戻します。
シャングリラ・プラザにHappy Cream Puffを開業してから、実は神様からちょっとした課題をいただきました。
それは・・・・・
このモールの新館5階のエリアは、食事を目的のお客様が大変に多いということが解ってきました。
要するにお客様がお店を覘きに来るのですが、 「 あっ、食事はできないんだ・・・ 」と言いながら他のレストランへ行ってしまいます。
もともと、シャングリラモールの方には 「 カフェ・レストラン 」 というカテゴリー登録をしてあったので、食事を出すことは何の問題もありません。
それに輪をかけるように、シャングリラモール側からも、 「 この新館5階でお店をやるなら、ぜひ食事メニューをやって欲しいのだけど・・・・・ 」 と言われてしまいました。
結局、カフェだけをするお客様が少ないことと、過去にレストラン経験があるいうことから、食事を出すカフェ・レストランにするという決断をすることはそんなに難しいことではありませんでした。
ここで一旦アップします。
次の記事では、カランバのレストランが現在の私に何をもたらしたかを書いてみたいと思います。
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