Jさんの加害問題のひどさは、当時19歳だったJさんが、有名作曲家の8歳のこどもにまで、

お世話になり寝泊まりさせてもらった自宅で、

平気で、何人ものこどもたちに、何十回以上もの加害を長期間にわたり繰り返してきたことをみれば、

そのおぞましさが、おわかりかと思います。怖

 

Jさんは、モラルもどこかにいってしまい

かわいい少年たちをみると欲望が強すぎコントロールがきかず

加害を繰り返してしまい、誰にも止められない状態だったのかもしれません。

 

毎日、こんなにかわいい多くの少年たちに囲まれていては、

Jさんが、欲望、加害をコントロールするのは、無理でしょう!

 

Hey! Say! JUMP - 人力飛行機 [Official Music Video] (youtube.com)

 

 

 

こんな80歳前後になっても、長年70年近く苦しみ続け、やっと今頃告白できたところからも、

 

被害者の方々の被害の深刻さがわかるでしょう!

 

たとえMさんも、Jさんの少年たちへの病的な加害行為については、知っていたとしても

まさかここまでのひどさとは、たぶん知らなかったのではないでしょうか。

 

おぞましいかぎりでございます。

 

 

世界中から、このような加害被害は、予防され、なくなりますように。

 

被害者の方たちも適切に、早く癒され幸せに生きられますように。

 

 

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「70年前、ジャニー喜多川氏から性被害を100回以上受けた」 作曲家・服部良一氏の次男らが打ち明けた加害の実態「事務所設立の目的も〝それ〟では」

 

 

 

ジャニー喜多川氏の性加害はジャニーズ事務所を創業する前からあった―。戦後歌謡界を代表する作曲家、服部良一の次男で俳優の吉次さん(78)が約70年を経て、幼少の頃のつらい体験を語り始めた。重い口を開かせたのは、若い世代の勇気ある告発だった。

 

マッサージは肩から全身、パンツの中…  喜多川氏は本名の拡(ひろむ)をもじって「ヒー坊」と呼ばれていた。自分から料理や掃除までこなし、家の女性たちから「日本の男とは違う」と評判だった。当時7、8歳だった吉次さんはそう記憶している。

 

毎週のように、土日になると彼は服部家にやって来た。「家族と一緒に食事をしたり、マージャンやトランプなどいろいろなゲーム遊びをしたりしたんですよ」。米軍基地内で日用品を扱う売店「PX」から仕入れたとおぼしき、チョコレートやアイスクリーム…。当時まだ珍しかったお菓子などを、お土産として欠かさず持って来たという。  「今日は泊まろうかな」。ある日、喜多川氏がふと口にした。母親も「よっちゃんの部屋が良い」と言い、自分と並んで寝ることになった。すると彼は、「肩をもんであげるよ」とマッサージを始めた。はじめは肩、次第に全身へともんでいく手は、いつの間にかパンツの中に入ってきた…。  翌朝、喜多川氏が帰った後で、吉次さんは姉に前夜の出来事を打ち明けた。だが「気持ち悪い、そんな話しないでよ」と言われ、他のきょうだいや両親に話すことはできなかった。  その後も、喜多川氏が家に来るたび、同じ目に遭うことが続いた。

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「2年半くらいで、全部で100回くらいはあったと思う」  特に覚えているのが、長野・軽井沢での出来事だ。同級生の松崎くんら友人6人ほどでスケートに行き、別荘に泊まった。引率者だった彼は夜、みんなが寝静まると、いつものようにあの行為を始めたのだ。そしてその手は松崎くんにまで…。  ▽寝ていると、体の上に重たいものが…  その時、自分に向けられた行為は未遂に終わったと、松崎基泰さん(79)は振り返る。寝ていると、体の上に重たいものが乗っかってきた。喜多川氏だった。あまりの恐怖に泣き出すと、隣接する小屋に泊まっていた年長の女性が来て、彼を注意してくれたのだという。  松崎さんによると、喜多川氏が行為に及ぼうとしたのは、この時だけではなかった。それ以前に服部家へ遊びに行った日、食事を取り、シャープ兄弟と力道山のプロレスをテレビで見ていると、服部家の家族ではない男の人の視線を感じた。それが喜多川氏との最初の出会いだった。

 

程なくして、演劇や映画に誘われ、一緒に行くようになったという。ところが暗い劇場内で喜多川氏は、松崎さんのセーターの中に手を入れ、体を触ってきた。「恐怖で母親のみならず身内の誰にも言えず、されるがままで震えを覚えた」  服部家から松崎さんの家まで、喜多川氏が車で送り届けることもあった。途中でお菓子をお土産に買ってくれるが、家が近づくと彼は暗い場所に車を止め、何度も性加害を行った。  「2年まではいかないくらい続いた。1週間から10日に1回はあった」  喜多川氏はその後、自分たちと同じくらいの年の男児を集め、少年野球団を結成。松崎さんも入ったが約1年後に退団した。最後にボウリング場で偶然会った時、喜多川氏は新しい男の子に肩から首に手を回して歩いていて、自分に対しては(性的な)興味を失ったようだった。これで、もうあのような悪夢はなくなると感じた。 

 

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「全部きれいに洗い流してもらいたい」  国民的な人気を誇るグループや歌手らを多く輩出し、ジャニーズ事務所は日本の芸能界で大きな存在感を持つようになった。しかし、喜多川氏が事務所を作った意図を、吉次さんはこう見ていた。  「こういったこと(性的欲求)を合理的に処理したい、自分が思い描くことをしたいと(事務所を)つくられたのでは」  70年の沈黙を経て自身の性被害を公表しようと決意したのは、今年に入り、歌手のカウアン・オカモトさん(27)ら、ジャニーズ事務所の元所属タレントらが相次いで顔を出して告発に踏み切ったことが大きいという。

 

 

 

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国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」

 

 

──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。

 

 

「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。

 なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」

 

ジャニーズ性加害構造の萌芽は70年前に…一晩で5人の少年の間を渡り歩いた“軽井沢事件”の全貌|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

 

 

 

ジャニーズ性加害構造の萌芽は70年前に…一晩で5人の少年の間を渡り歩いた“軽井沢事件”の全貌

 

 

──ジャニー喜多川氏に弄ばれたあとはどうしたのですか?

 

「なぜそうなのか、説明するのは難しいのですが、それからもジャニーとの関係は2年半くらい続きました。彼は毎週土曜日に来て、そのたびにまた私と一緒に寝て同じ行為を繰り返すんです。たぶん1年で30回くらいでしょうか。

 秘密の快感と引き換えに、罪悪感は大きくなるし、体によくないという直感も働く。ましてそれが両親にバレたらジャニーが怒られるだろうということも分かるんです。

 

 

父の葬儀の時、「うちに泊まっていきなよ」と声をかけられ…

 

──ジャニー氏は良一氏の葬儀にも参列されたとのことですね。

「父・良一が亡くなった時、私が喪主である兄の代わりに葬儀を取り仕切っていたのですが、お通夜の時、ジャニーが『よっちゃん、明日の本葬も大変だろう。うちのペントハウスがあるから泊まっていきなよ』と言うので、いわゆる『ジャニーズの合宿所』の最上階に泊まりました。

 ぼくの妻と子供たちも一緒。トイレ、和室、プレールーム、風呂場などすべての部屋にテレビがある広大な部屋でした。妻は『こんなことしてくれるのは今度は有吉に食指を動かしてるのよ』と言って、葬儀の時も片時も有吉から目を離さなかったみたいです。有吉は12歳でしたから」

■“PTSD被害”を再生産した罪

 ──結局ジャニー氏はどんな人だったのか?

 

 

「マメで気が付くし、気くばりの人。片付けも一人でみんなの分をさっとやるし、いいオジサンであるのは確かです。でも、ステージに立つ夢を抱きながらジャニーズ事務所の門戸を叩いた少年たちの心と体を傷つけむさぼるように快楽にふけった罪は許せないです。

 これはあくまでも私見であり、飛躍しているかもしれないけど、彼は日系2世として朝鮮戦争に従軍してるし、アメリカでの日本人差別も経験している。彼もPTSDに苦しみ、それは性加害という形で発現されたのかもしれないと、一度は彼を戦争の被害者の一人として許す気になった時もあります。

 しかし、戦争によるPTSDの被害を知るようになるにつれ、彼はPTSDを再生産し、幾何級数的に増殖するシステムを構築してしまった。その現実が見えた今、彼の罪深さは計り知れないと思います。
 

私自身、その時のPTSDに苦しみながら、なぜ70年間も告白できなかったのか。あらがえなかった、沈黙してしまった、それがジャニーの性被害を育み、果ては主要メディアの沈黙にまで手を貸してしまった。引き返せない歳月を取り返したい。マスコミの糾弾はもっと厳しくあってしかるべきだと思います」

 

ジャニー喜多川氏「性加害問題」で新証言 服部吉次さんと友人が明かした壮絶被害と恐怖の記憶|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

 

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ジャニー喜多川氏「S加害問題」で新証言 服部吉次さんと友人が明かした壮絶被害と恐怖の記憶

 

■「全部で100回くらいあったと思う」

 

「恐怖と困惑で誰にも言えなかった」

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 松﨑さんはアメリカに渡り、40年近くIT関係の仕事をしていたが、週刊文春とジャニー氏の裁判のニュースなどを見るにつけ、「嫌な記憶が蘇ってきたが、仕事が忙しかったこともあり、表沙汰にしようという考えには至らなかった。ジャニーはずっと同じことを繰り返しているのだなと考えていたが、今回、服部に声をかけられて出る決心をした。ジャニーのしたことは許されることではない」と話した。
 

会見には、服部吉次さんの次男も同席し、服部さんの告白を見守った。今回、次男は少年時代に別の男性から性被害にあっていたこと、服部さんの父の良一氏の葬儀(93年)の際、ジャニー氏が次男を狙っていることを吉次さんの妻である石井くに子さんが察し、ジャニー氏の魔の手から守ったことも石井さんの口から明かされた。こうした事実が、服部さんに告発を決意させたという。

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ジャニーズ事務所設立前から行われていたジャニー喜多川氏による性加害犯罪。2人の勇気ある証言は、問題の根深さを物語ると同時に、ジャニーズ事務所の存在理由そのものも突きつけられている。

 

ジャニー喜多川氏「性加害問題」で新証言 服部吉次さんと友人が明かした壮絶被害と恐怖の記憶|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

 

 

 

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松本人志問題で「なぜ何年も経ってからなぜ告発したのか」と責める人に精神科医が言いたいこと

 

 

松本氏の問題はテレビ業界や芸能界の腐敗の一端に過ぎない

 性被害で受けた心の傷は、一生続くケースがある――。精神科医としてそう断言できます。そして被害者が「傷付いた」と口にできたのであれば、しっかり耳を傾けなければならない。その意味で「週刊文春」が報じた一連の記事は、重要な問題提起と考えています。  一つ一つの事実関係は判断できませんが、文春に書かれていることが事実であれば悪質な内容です。  ただ私は、松本人志という「特異な個人」が引き起こした問題とは捉えていない。吉本興業という企業の体質とも違う。松本氏の問題はテレビ業界や芸能界の腐敗の一端に過ぎない。松本氏の問題をきっかけに、そうした腐敗にメスを入れなければなりません。

日本の芸能界に広まらない危機感

 昨年、ジャニー喜多川氏や旧ジャニーズ事務所の問題が盛んに報じられましたが、テレビ業界はほとんど反省することなく、綺麗事で終止符を打ってしまった。各局は検証番組を作り、ジャニーズ事務所への忖度など、自らの反省の弁を滔々と述べていました。  そうしたテレビ業界の態度に、私は強烈な違和感を覚えました。反省しているどころかむしろジャニー氏だけをスケープゴートにしているように映ったのです。被害者には幼い男児も多かった。ジャニー氏の異常な性癖を強調し、彼個人の問題にしてしまった。本当にテレビ局は他人事といえるのでしょうか。  2017年にアメリカで始まった#MeToo運動。きっかけは、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏のセクハラ告発でしたが、彼だけが追及されたわけではなかった。  女優や俳優が次から次へと業界の問題を告発。俳優やコメディアン、ニュース番組の司会者までセクハラを追及される事態となりました。一方日本では、ジャニーズ問題だけでなく、映画業界の性加害問題も報じられたのに、芸能界全体に危機感が広がった様子はありません。

 

 

 

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服部氏は昨年、ジャニーズ事務所創業前のジャニー氏から「性被害を100回以上受けた」と告白して話題に。服部氏は昨年時点で78歳。証言が事実ならば、ジャニー氏は70年以上も前から蛮行に手を染めていたことになる。  服部氏は「ジャニーの性加害問題は、根っこは日本芸能界のセクハラ体質です。私自身の半生というのは、その世界の掟にどっぷりと汚されていたのだと、今になって、その深い闇を直視して、戦おうと思っています」と決意表明。 

 

現在、「SMILE―UP.」(旧ジャニーズ事務所)が設置した被害者救済委員会による面談が行われているが「民事提訴も、視野にいれて戦う。それでなくては、これまでの告発とその成果を前進させていくことができない。『お金欲しさ』ということが本質の問題ではない。という感覚が育つのは、時間がかかるけれど、大事ですね。やはり金銭でしか解決のしようがない。考えれば、考えるほど、面倒な問題ですね」と複雑な思いも記している。

 

被害者に対しては誹謗中傷も寄せられている。  服部氏はメッセージの中で「『苦しい、たまらない』その発言を自由に繰り返すことのできる社会を、みんなで引き受ける。そういう、傾向が広がっていることを、信じています。そのことを納得してほしい。誹謗中傷することは、卑劣なことです。大きな悪の側に仕分けする努力が求められる。『当事者』が引き受けるしかないのですか?」と問いかけている。

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以上、ニュース記事より抜粋