一番大切な人 | 【宇宙を愛する生き方】 ハッピーマインド®塾☆TOMOKOブログ

一番大切な人

ハッピーマインド塾☆TOMOKOです。

完全プライベート記事です。
スルーしてください。

これまで私が生きてきた中で、
一番、私を泣かせた人は、父親です。

きっと母にとっても同じでしょう。

ワンマンだった父に、
母も私も随分と
振り回されたものです。
 
晩年の父は、病気をして
入退院を繰り返していましたが、
ワンマンさは変わりませんアセアセ

病院でも、たぶん・・・
ワガママ患者リストに
なっていたのでは??

と思います。

そんな父を甲斐甲斐しく
母は世話し続けました。

病院のスタッフに
極力迷惑をかけたくないと、

どの患者家族よりも、
病院に面会に行き、
父の世話をしていました。
 

自宅での老々介護も
数年に及びました。
 
 
ちなみに義父が自宅で
寝たきりになったとき、
義母も甲斐甲斐しく
介護をしていましたが、
 
義父は、いつもいつも、
義母に対して、
感謝とねぎらいの言葉を
かけていました。

だから、義母は、
体力的にきついことが
あっても、精神的には
満たされていたと思うのです。
 
一方、父は、感謝やねぎらいの
言葉かけがほとんどありません。

いつも命令口調です。
 
そんな父は、認知症になり、
身体もいうことをきかなくなり
ますます世話が焼けるように
なっていきます。
 
いったい、いつになったら、
母は報われるんだろうか?
と思っていました。
 
私が、ここ2年ほどは、
月1ペースで沖縄から
帰省していたのは、

父に会うというよりは、
母をねぎらうために
通っていました。
 

おととい、父が入院する
病棟の看護師さんから、
母に電話が入ったそうです。
 
父が、
「りー、りー、りー」と、
わけのわからない
うわごとを言っていると。

”りー”とは、
母のことです。

名前の最初の一文字で
父は、母を呼んでいました。

薄れゆく意識の中、
父は、母の名前を
呼んでいたそうです。

母はそれを聞いて、
これまでのすべてが
報われたのではないでしょうか?

そして・・・
父が旅立ったその日は、
母の誕生日です。

生前は、きちんと言葉で
伝えることをしなかった父だけど、

一番大切な人の誕生日を
選んで旅立ちました。
 
お父さん、ベストな日を
選んだねグッ