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わたしは死ぬことにした。


その日からは母に宿題のことで叱られようが、姉とのチャンネル争いに敗北しようが全然平気になった。
だってもう死ぬんだから。


毎日部屋で死ぬ方法を考えたが、ベストな方法が浮かばなかった。


そんなある日の夕食時、
父がこんな話をはじめた。


『お父ちゃんな、人の幸せってものを昔から考えちょったらな、やっぱりいたんよ。
お父ちゃんとおんなじようにそれを疑問に思って
研究しとる人が。
その人の本を今、読んでおるんだけどね、
それによるとだね、
どうやら人の一生のうちの幸せや不幸の量ってものは、ある程度決まっちょうらしい。
すなわち、不幸だけではない、
不幸があれば幸せも同じくらいあるってことなんだ』


わたしの心の暗闇に一筋の光が射した。


『不幸だけではない』


この言葉でわたしの頭はいっぱいになり、夕食後すぐに父の書斎に駆け込んだ。


『あ、ビックリした!なんだ悦子』
『幸せの量って決まってんの?』
『ハハハ、さっきの話か。この本だ。読んでみるか?』
『私って小学校入る前に幸せを全部使い切っちゃったのかな?』
『おまえは生まれてまだ十年ほどだろ?それで人生のすべての幸せを使ってしまったなんてことはないよ。
人間生きておれば良い時も悪い時もある。
今が悪いからってそれはずっと続かんよ』
『でもすごく苦しくなってしまったら、死んでしまってもいいんじゃないのかな?
死ねばその苦しみから解放されるんだもの』

『バカだなぁ。死んでしまったら何にもならんよ。
幸せってものは生きてこそ感じられるんだ。
かみしめられるんだよ。
考えてもみろ。
死んでしまったら肉体が無くなって魂だけになるだろ。
魂だけでは幸せを実感することはできないんだよ。
幸せってものは、身体と魂の両方がそろってこそ
はじめて実感できるんだよ』
父はわたしをじっと見つめて言った。

『じゃあわたしはこの先、生きていて幸せになれるのかな』

『そんなのお父ちゃん神サンじゃないからわからんよ。なぜならおまえの幸せはおまえにしかわからんのだから。
生きておればいずれわかる。
なぁ悦子、
もう少し生きてみんか』

父はやさしく私の肩に手を置いた。


父は私が『死』を考えていることに気づいたのかも知れない。


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『ゲゲゲの娘日記』水木悦子
 角川文庫 より