君九齢 ・「九齢公主」~隠された真実~
婚約が「恥ずかしい」
と感じられる感覚の正体
第1話。
君蓁蓁となった九齢に対して、
婚約書を見せた侍女の柳児のあの一言――
「恥ずかしいのですか?」
は、実は中国の恋愛観・礼教観が
ぎゅっと詰まった、
とても文化的なセリフなんです。
中国の伝統社会では、
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男女の感情表現は控えめであるべき
-
とくに若い未婚の女性は、
→ 恋愛や結婚への関心を表に出さないことが品位
とされてきました。
儒教的価値観では
「女子は貞静・含羞(=つつしみ深さ)が美徳」
とされ、
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恋を語らない
-
相手を意識していても表情に出さない
-
結婚話に照れる
といった態度こそが、
「きちんとしたお嬢様」の振る舞い
だったのです。
なぜ「婚約=恥ずかしい」
になるのか
婚約書というのは、
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自分が“誰かと結ばれると公に認められた証”
-
恋愛・男女関係を現実として突きつけられる瞬間
でもあります。
けれど、
「恋は自ら口にするものではない」
「まして喜びを表に出すのははしたない」
という価値観の中では、
婚約を“うれしい”と
素直に見せるのは軽率で品がない
と見なされていました。
だから、
-
照れる
-
伏し目がちになる
-
話題を避ける
――これら全部が
乙女らしい「羞恥」の表現
なのです。
柳児の
「恥ずかしいのですか?」
の意味
ここがさらに面白いところです。
柳児は、
君蓁蓁(九齢)が婚約書を見て
わずかに戸惑い、踏みとどまったその“間”を察し、
「あ、照れているのね?」
「普通のお嬢さんの反応だわ」
という文脈で、あえて軽く
「恥ずかしいのですか?」
と尋ねています。
実はこのセリフ、
二重の意味がある
あの場面の妙は、
文化的背景を知るとより鮮明になります。
表の意味は、
-
女性として自然な照れ
-
恋や婚姻に対する「含羞」
そして、隠れた演出の意味は、
実は視聴者に対して、
「彼女は“恥じらう乙女”を演じている」
ことを静かに示す装置にもなっています。
本当の九齢公主は、
-
政治と復讐の世界で生きてきた女性
-
婚姻を感情ではなく戦略として見ている人物
です。
だから本質的には、
婚約に「恥ずかしがる」必要などない。
それでも“君蓁蓁”として生きるために、
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世の中が求める「お嬢様の反応」
-
中国社会が期待する「奥ゆかしさ」
を、無意識に“演じている”瞬間でもある
と感じさせています。
柳児の問いは、
「あなた、本当に照れているの?」
「それとも、そう演じているの?」
という、視聴者への
静かな確認のようにも見えるのです。
『君九齢』らしい演出
このドラマのすごさは、まさにここ。
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たった一言のセリフで
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文化背景も
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人物描写も
-
主人公の二重性(君蓁蓁と九齢公主)も
すべてを成立させている。
まとめ
中国文化における
「婚約=恥ずかしい」という感情は、
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儒教的な“含羞・慎み”の美徳
-
恋や喜びを表に出さないことが
品位とされた社会観
から生まれたもの。
そして柳児の一言は、
単なる可愛らしい冗談ではなく、
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文化的リアリティの提示
-
主人公の“仮面”を示す演出
という二重の意味をもった、
非常に計算されたセリフだったのです。
「このドラマは、あらゆるセリフに計算がある」
まさに、一言で心を描く物語ですね。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
