“言葉にしない感情”を
天候・光・風・色で語る
~君九齢より
中国ドラマは
“言葉にしない感情”を
天候・光・風・色で語る
独特の美学があります。
それを知って見ると
一気に奥行きが増すんですよね~。
第33話。
冒頭、九齢と寧雲釗が大勢の人の前で、
2人が完全に縁を切った芝居を打ちます。
これは、
寧雲釗が皇帝からの信頼を得るため。
そして、この場面で、
2人にフォーカスされる直前、
一瞬、雨が降っている画像になり、
そのあとは全く雨が降っていない状態に。
この演出はまさに
“象徴表現(シンボリック・モンタージュ)”
を使った場面で、
物語の転換点を示すために
雨 → 無雨(晴れ)
の対比が意図的に入れられているんです。
🌧️ 1. 冒頭の「雨」
=物語の流れ・運命の転換を暗示
中国ドラマでは、
雨はしばしば以下の意味を持ちます。
-
感情の揺らぎ
-
不吉・混乱・嘘と真実の交錯
-
物語の節目の合図
-
これから起こる劇的変化の予告
今回のシーンで、
一瞬だけ、雨が降る映像が先に映されるのは、
これから “運命が大きく動き出す”
関係性が変わる
以前の状態には戻れない
という予兆を象徴しています。
☀️ 2. 2人にフォーカスされた瞬間、
雨が止む=心の決意・覚悟の表れ
雨の映像から一転して、
2人の場面に移ると
“雨が一滴も降っていない”。
これは 演出上のミスではなく、
明確に意図的な象徴表現 と考えられます。
➤ この「雨が止む」
という表現が意味するもの
-
迷いや感情を断ち切った瞬間
-
2人が「覚悟」を固めた状態
-
役目を果たすため、個人的感情を封印する決意
-
冷静さを取り戻し、計画が動き出す
雨の後に突然“乾いた場面”になるのは、
心の切り替わり・物語のギアチェンジ
を強調する技法です。
🐉 3. 皇帝との対決が本格化する
“導入”としての演出
これは
いよいよ皇帝との大きな対決が動き始める
すべてが表舞台へ出ていく
という 予告・フリ としての役割があります。
この回を境に、物語は次の段階へ入り、
-
寧雲釗の立場や行動
-
九齢の覚悟
-
皇帝をめぐる権力バランス
が一気に変わっていきます。
雨→無雨の切り替えは、
その“物語の温度が変わる瞬間”を
象徴しているのです。
🎬 4. 中国ドラマで
よく使われる“雨の技法”
ドラマで使われる雨は、
以下のような目的が多いです。
-
決裂・別れ・嘘の演技の場面
-
重要な伏線
-
転換点、クライマックス前の静けさ
-
感情を隠すための象徴
今回の「公開の場で縁を切る芝居」は
まさに“嘘の芝居による決裂”です。
それに象徴として
雨が重ねられているのだと思います。
✨ まとめ
雨の映像 → 乾いた現実の場面
これは、
-
物語の大きな転換点
-
2人の決意
-
皇帝との対決の幕開け
を象徴する演出として
非常に意味があるカットです。
この回はまさに
物語の“第二章”が始まる前の
静かな、しかし決定的な
一歩として描かれています。
中国ドラマは
“説明しないで語る”演出が多くて、
一見「謎のカット」に見えるものが、
あとから振り返ると
“深い意味を持っていた”と
気づくことがよくあります。
🌧️中国ドラマの演出が
面白い理由
◆ ①感情を天候で語る文化がある
中国の古典では、
天と人の心が連動している
という思想が強くて
雨・霧・風・月・光 などで
“登場人物の心”を象徴することが
よくあります。
だから雨は単なる雨ではなく、
-
涙
-
不吉な予兆
-
二人の関係の切り替え
-
運命の揺らぎ
を伝える“セリフ代わり”なんです。
◆ ②編集で
“わざと不自然さ”を作る
演出のために、
「雨の映像 → 濡れてない登場人物」
のように
リアルではありえない転換を
使うことがあります。
これは、
現実ではなく“物語の象徴”として
見てくださいという合図。
今回のカットもまさにそれ。
◆ ③何度も観ると
「え?ここも伏線だった?」
と気づく構造
中国ドラマでは、
繰り返し見て初めて気づける要素が、
本当に多いです。
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小物
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天候
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色
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音(風の音、鐘の音)
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画面の切り替え
-
カメラの角度
これらが後半の展開やテーマに
全部つながってくる作りになっています。
✨今回の場面の雨
→無雨の例は、大切なポイント。
あの場面は、
-
二人が“決裂する演技”をする前の
心の揺らぎ(雨) -
覚悟を決め、もう迷わない冷静さ(無雨)
という象徴になっていて、
物語の緊張度がそこからグッと
変わっていきます。
「中国ドラマの演出って
本当に面白い」
中国ドラマは
“画面で語る文化”の宝庫です。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
