『君九齢』が“なぜ
特別に見えるのか”
~君九齢
──一人に寄り添うフォーカスの演出──
中国ドラマをたくさん見てきた中で、
『君九齢』には他の作品にはない
「独特の映し方」があります。
それは――
セリフを話している
・話していないに関わらず、
カメラが“ほぼ一人だけ”に
ピントを合わせ続けること。
多くの中国時代劇では、
大広間の場面や複数人の会話が多いため、
広い画角で全員の表情をとらえることが
一般的です。
ところが『君九齢』は違います。
ピントが徹底的に、
たった一人の表情に寄り添います。
それが、
このドラマを“静かに深く沁みる作品”
にしている理由でもあります。
■ なぜ『君九齢』だけに
この演出が多いのか?
このドラマは、
九齢の「外側の事件」よりも、
心の痛み・愛・義・揺らぎ
といった“内面”を軸に描かれています。
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九齢の心が震える瞬間
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真実に気づく一瞬のまなざし
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朱瓚を見る時の温度の変化
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陸雲旗への憎しみと残された愛の影
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方家で少しずつ心が溶けていく過程
これらを表現するためには、
「一人の表情」だけを見せる構図こそが
もっとも効果的。
演じる俳優さんたちの
まばたきの速度、呼吸、
視線の小さな揺れが
さまざまな感情を表しています。
その“繊細な演技”を伝えるために、
カメラは極端に寄り、
背景の人物や景色は
大きくぼかされています。
これは撮影監督の意図的なスタイルで、
浅い被写界深度(深くボケるレンズ)を
多用した作品ならではの特徴。
結果として、視聴者は
「気づいたら九齢の心に寄り添って見ている」
という、静かな没入感を得ることになります。
■ 視聴者が
“九齢の世界”を見る構図
『君九齢』のフォーカスは、
単なる映像技法ではありません。
視聴者が、
九齢の目と心で世界を見るための仕掛け。
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九齢が誰に心を向けているか
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どこで傷つき
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どこで涙を飲み込み
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どこで心を閉ざし
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どこで人を信じようとしたのか
その“心の方向”が、
映像のピントで自然に語られています。
物語そのものよりも、
“その場で九齢がどんな気持ちだったか”
を深く感じさせる。
これが、
他の中国ドラマにはあまりない、
『君九齢』だけが持つ
独特の美しさです。
■ 『君九齢』の“深い余韻”は
フォーカスから生まれる
『君九齢』の魅力は、
豪華なアクションでも派手な宮廷劇でもなく、
人の心の奥に静かに灯る感情を
丁寧にすくい取ること。
そのために、
あえて 一人だけに強くピントを合わせる
という演出が使われています。
この寄り添うような映し方があるからこそ、
登場人物の痛みや愛が、
視聴者の胸まで深く届いてくるのだと
思います。
「なぜか心に残る」
「表情が印象に強く残る」
という余韻は、
まさにこの演出が生み出したものです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
