🌙 朱讃の愛
― 祈るように、信じるように ―
~「君九齢」より
沈黙の中にこそ、真の愛が宿る――
君九齢の物語の中で、
私が最も心を打たれたのは、
朱瓚という人の
“祈るような愛”でした。
今回はその愛の形を、
静かに辿ってみたいと思います。
朱瓚の愛は、
九齢の「義」とは
正反対の形から始まりました。
彼が最初に九齢(君蓁蓁)を見たとき、
彼女は誰も寄せつけない
氷のような目をしていた。
普通の人なら、
その冷たさに
距離を取るでしょう。
けれど
朱瓚だけは違いました。
彼はその冷たさの奥に
“凍った涙”を
見たのです。
🌕 愛とは、
相手の沈黙に耳を澄ますこと
朱瓚は、
九齢の言葉よりも、
沈黙を見つめていました。
彼女が笑う時よりも、
黙って背を向ける時こそ、
その心がどれほど痛んでいるかを
知っていたから。
彼の愛は、
問い詰めることも、縛ることもなく――
ただ「待つ」ことだった。
朱瓚の沈黙は、
九齢の沈黙と呼応していたのです。
🌹 九齢を守るために、
何も奪わない
多くの人が、
愛する人を守るために
“奪おう”とします。
陸雲旗のように。
けれど
朱瓚は、違いました。
彼は
「九齢が戦うための力を残す」
ことを選んだ。
抱きしめたい夜も、
言葉をかけたい瞬間も、
彼はそのすべてを
“待つ”という形で
愛に変えた。
その忍耐こそが、
朱瓚の愛の本質でした。
✨ 九齢に触れた瞬間、
朱瓚は「信じる人」になった
暴走した馬車を止めたあの時、
九齢を抱きかかえた朱瓚の手は、
ただの救いでは
ありませんでした。
彼はその瞬間、
「この人の生き方を信じよう」
と決めたのです。
九齢の義が
たとえどんなに危うくても、
彼はそれを否定しなかった。
なぜなら、
彼女が誰かを救うために
痛みを選ぶ人だと
知っていたから。
💫 愛するとは、
相手の“自由”を信じること
朱讃にとっての愛は、
「相手を変える」ことではなく、
「相手が変わるのを信じる」こと
でした。
だからこそ、
彼は九齢に何も強要しなかった。
その距離は時に切なく、
時に痛かった。
けれど――その“距離”こそが、
彼女にとっての
“救い”になったのです。
九齢が
自分の義を超えられたのは、
誰かに教えられたからではなく、
朱瓚に
“信じられていた”から。
🌸 朱讃の心の詩
君の涙に触れぬように、
君の背を見守る。
愛していると言えば、君は歩みを止めるだろう。
だから私は、沈黙で祈る。
君が義を選ぶなら、その道を照らそう。
君が愛を選ぶなら、その場所にいよう。
ただ――君が君である限り、
私の心は、君のそばにある。
🌕 結びに ― 愛という祈り
朱瓚の愛は、
勝ち取るものでも、
報われるものでもなかった。
それは、
ただ“そこにあり続ける”光。
彼が九齢を愛したことは、
彼女を所有すること
ではなく、
彼女の魂が
自由になることを
見届けることでした。
そして
彼女がその自由に辿り着いたとき、
朱瓚の愛は
“祈り”から“安らぎ”へと
変わったのです。
🌙最後に
愛とは、
手を伸ばすことではなく、
信じて待つこと。
朱瓚の愛が
教えてくれたのは、
そんな“静かな強さ”
でした。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
