「君九齢」より~
🌸 九齢の憎しみの奥にある愛の残響 🌸
第6話。
九齢は朱瓚から、
姉楚九黎と陸雲旗の婚礼の知らせを
聞きます。
その瞬間、
九齢の心には激しい憎悪の感情が
湧き上がります。
彼女は思います
――「陸雲旗、なんてやつなの」と。
けれど、
その感情の奥にあるのは、
ただの怒りではありません。
九齢ほど聡明な人物なら、
陸雲旗の行動が
皇帝の指示によるものだと
理解しているはずです。
それでも感情を抑えきれず、
心の底から揺れてしまう。
この「理性では理解できても、
心が許さない」感覚こそ、
九齢の中に確かに“愛の記憶”が
残っている証のように思えます。
陸雲旗は、
やり方は決して正しくなかったけれど、
九齢を守り、彼女の大切なものを
守ろうと動いていました。
姉を娶り、弟を守る
――そのすべての行動は、
九齢への愛の裏返しでもありました。
しかし、
九齢にとって、
彼が「行動で」皇帝の側についた瞬間、
それは愛よりも“父の仇に従った人間”
となってしまったのです。
彼女にとって陸雲旗は、
「守ってくれた人」ではなく、
「父の命を奪った体制の一部であり、
信頼を裏切った人」。
だからこそ、
九齢の中では理屈ではなく感情として、
陸雲旗=許せない存在、
となってしまったのです。
それが、
彼女の中に渦巻く感情の苦しさとして
現れていたのでしょう。
そして、
九齢が陸雲旗に対してだけ、
いつも冷静さを崩すのは、
「憎しみの奥に、まだ温もりがあるから」。
彼を責めながらも、
その行動の意味を理解している。
表情に怒りと悲しみが同居している。
それは、
愛がなければ生まれない
複雑な表情です。
そしてこの感情こそ、
九齢を「ただの復讐者」ではなく、
深く人間的で、
愛を知る女性として
描いているのだと思います。
九齢の強さは、愛を失ってもなお、
その痛みを抱えたまま前に進む
“心の成熟”から生まれています。
静かに、しかし確かに――
憎しみの奥に、
愛の残響が響いている。
それが、
「君九齢」という物語の
最も美しい余韻のひとつです。
💠 九齢の心の詩 💠
憎しみは 愛の影に宿りて
消そうとすれば なお光を放つ
名を呼ぶことさえ許されぬのに
心は あなたを知っている
愛したことを恨みに変え
恨みの奥で まだあなたを想う
九齢の涙は 決して弱さではなく
愛を知る者だけが流せる光――
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
