“片方のイヤリング”
~「君九齢」第六話より
第6話。
暴走する馬車を止め
君蓁蓁(九齢)を救った朱瓚。
命を賭けたその瞬間、
二人は見つめ合い、
時間が止まったように
感じられました。
――そして、次の場面、
方家を歩く九齢と柳児。
「(朱讃に)気があるのでは?」
と柳児に尋ねられます。
その直後の九齢の
右耳のイヤリングが、
静かに姿を消しています。
これは偶然ではなく、
九齢の“心の揺らぎ”を象徴した
演出だと考えられます。
映像表現の世界では、
右側は「理性・社会的な顔」、
左側は「感情・内なる世界」
を表すことが多いといわれます。
右のイヤリングが
外れているということは、
九齢がいつも保ってきた“
理性”の仮面
――公主としての冷静さが、
一瞬だけほどけたことの暗示なのです。
朱瓚に救われ、心が揺れた九齢。
理性が崩れ、ほんの一瞬、
封じていた“女性”の心が
顔をのぞかせた。
その一片の感情が、
光のように揺れるイヤリングの不在に
込められています。
もし
左のイヤリングが外れていたなら、
それは感情そのものの変化――
心を閉ざしたり、
何かを決意したりする象徴に
なったでしょう。
けれど九齢はまだ、
心を閉じるのではなく、
理性の外で誰かを
見つめてしまった。
その微かな揺らぎが、
このシーンの美しさを
際立たせています。
――詩:九齢の胸の内
理を纏い 心を隠して歩む道
誰の手にも触れぬように
けれど 紅の馬車が止まったとき
一瞬 風が私の名を呼んだ
落ちたのは 珠ではなく
理性の殻を包むひとしずくの光
その名を 揺らぎという
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ドラマを楽しむ一助となれば幸いです💕
