軌道修正
先ほどからインターネットで、このブログの副題にもある言葉の "英語は絶対勉強するな"と"TOEIC"で検索してみました。
その中でいくつか気になるページがありましたのでbookmarkしました。
ほとんどは 同じく英語を勉強されている方々の、経験に基づく感想、書評、そういったページで、熱意、真剣さみたいなものが伝わり、何だか自分も頑張ろうというようなあったかい気持ちになりました。
その中で少しだけ紹介すると「英語は絶対勉強するな!」のホームページの掲示板のメニューに、同じく英絶方式で勉強する方々の悩み、つまづき、質問、応援、進歩状況などが載っていて、楽しく拝見させていただきました。中にはALL ABOUT JAPAN 掲載の書評:「英語は絶対勉強するな!」ガイド:中田 達也 氏のような書評もあり、いわゆる反対意見ですので考えるところもありましたが、それはそれで良いのではないかという感想です。
英語だけではなく何をするにしても、物事には完璧な方法があるとは私も思いませんし、それぞれの方法の是非については賛成、反対の方もいらっしゃることでしょう。
人にはおそらく、それぞれ個人の目的があって、英語を勉強されている方もいるでしょうし、そういったものにも意見と言うものは左右されるかと思います。
この書評を書いた方も、推測になりますが、自分の経験と照らし合わせてこの方法が異なっていたため否定の立場を取られたのかもしれません。(経歴的にはすごい方ですね('-')関係ないですが。)
ただ、色んな方々の投稿を読んでいるうちに考えたのは自分が英語を勉強する目的です。大学受験に提出を求められる方もいるでしょうし、企業で求められるという方もいるでしょう。仕方なくと言う方もいれば、楽しんでいる方も、また、点数を気にする方も居れば、純粋にしゃべれるようになりたいと言う方も。
自分はというと、「好きな事を楽しめる自分になりたいから」です。自分の言いたい事を話せるようになりたいので、本当はTOEICの点数は2の次、3の次でいえ、はるか彼方くらいの勢いです。ですからもし私がいたずらにテスト勉強だけの勉強を繰り返すというようなことをしたら、本末転倒もいいところです。それで完璧な英語や満点を取れたとしても社会的にはすごいねと言って貰えるかもしれませんが、それで私は幸福を感じません。私の場合は、誰かの望むような、絵に描いたようなすごい人、成功者と呼ばれる人を目指すことには全然幸せ感がわきません。
目指すところが違うというわけです。
TOEICを例にとってみれば、満点をとれればそれはそれですごい事です。いろいろごちゃごちゃ考えずに、満点を取り、且つ、目的どおり楽しめば良いじゃないか、と思われるでしょう。
しかし、私の大きな目標は人生を楽しむ事。ひたすら満点や完璧さ、高得点、人より優れる事、比べることに重きをおくことではないのです。勿論これらのことを否定しているのではありませんし、誰にでもそうすべきだ、とかこれらが正しい考えだなどとは思って居ません。人の幸せはさまざまですし、目指すところも違います。
そして、私はこれらの投稿や書評などを読んで感じたのは、方法論の是非ではなく、いろいろな方の考えも聞きながら常に自分が在りたいと思う方向に、自分を軌道修正、確認することが大切だな、ということです。
どうしても点数などの記事が目に付きやすく、無意識に点数をあげたいな、と考えができていたような気がします。すると人間は不思議なもので、自分の描いたそのままに行動を起こします。ブログの副題も150点upを目指す、でしたしね(@.@)
いろいろな意見を読むのはとても楽しい事です。ですがあまりにも噛み砕かずに読み続けていると、いつの間にか自分の考えが人の考えとすり変わったり、正しいと思われる他人の考え方から真っ向から自分の考えを否定してしまうことがありませんか?そしていつもそんな感じで、自分の芯となる考えがないような気がする..(いえ、私だけだったらスミマセン、グスン(;´д⊂))
そしてこの方法は今まで自分がとってきた方法に比べて楽しそうであること。それでこの方法にしています。またこれが全てだなどとも思って居ませんので、多少の勉強方法の変更や試行錯誤はやっています。そういうところが面白く楽しいです(^-^)
勿論楽しい事が楽だとは限りませんが...(-_-;)
その中でいくつか気になるページがありましたのでbookmarkしました。
ほとんどは 同じく英語を勉強されている方々の、経験に基づく感想、書評、そういったページで、熱意、真剣さみたいなものが伝わり、何だか自分も頑張ろうというようなあったかい気持ちになりました。
その中で少しだけ紹介すると「英語は絶対勉強するな!」のホームページの掲示板のメニューに、同じく英絶方式で勉強する方々の悩み、つまづき、質問、応援、進歩状況などが載っていて、楽しく拝見させていただきました。中にはALL ABOUT JAPAN 掲載の書評:「英語は絶対勉強するな!」ガイド:中田 達也 氏のような書評もあり、いわゆる反対意見ですので考えるところもありましたが、それはそれで良いのではないかという感想です。
英語だけではなく何をするにしても、物事には完璧な方法があるとは私も思いませんし、それぞれの方法の是非については賛成、反対の方もいらっしゃることでしょう。
人にはおそらく、それぞれ個人の目的があって、英語を勉強されている方もいるでしょうし、そういったものにも意見と言うものは左右されるかと思います。
この書評を書いた方も、推測になりますが、自分の経験と照らし合わせてこの方法が異なっていたため否定の立場を取られたのかもしれません。(経歴的にはすごい方ですね('-')関係ないですが。)
ただ、色んな方々の投稿を読んでいるうちに考えたのは自分が英語を勉強する目的です。大学受験に提出を求められる方もいるでしょうし、企業で求められるという方もいるでしょう。仕方なくと言う方もいれば、楽しんでいる方も、また、点数を気にする方も居れば、純粋にしゃべれるようになりたいと言う方も。
自分はというと、「好きな事を楽しめる自分になりたいから」です。自分の言いたい事を話せるようになりたいので、本当はTOEICの点数は2の次、3の次でいえ、はるか彼方くらいの勢いです。ですからもし私がいたずらにテスト勉強だけの勉強を繰り返すというようなことをしたら、本末転倒もいいところです。それで完璧な英語や満点を取れたとしても社会的にはすごいねと言って貰えるかもしれませんが、それで私は幸福を感じません。私の場合は、誰かの望むような、絵に描いたようなすごい人、成功者と呼ばれる人を目指すことには全然幸せ感がわきません。
目指すところが違うというわけです。
TOEICを例にとってみれば、満点をとれればそれはそれですごい事です。いろいろごちゃごちゃ考えずに、満点を取り、且つ、目的どおり楽しめば良いじゃないか、と思われるでしょう。
しかし、私の大きな目標は人生を楽しむ事。ひたすら満点や完璧さ、高得点、人より優れる事、比べることに重きをおくことではないのです。勿論これらのことを否定しているのではありませんし、誰にでもそうすべきだ、とかこれらが正しい考えだなどとは思って居ません。人の幸せはさまざまですし、目指すところも違います。
そして、私はこれらの投稿や書評などを読んで感じたのは、方法論の是非ではなく、いろいろな方の考えも聞きながら常に自分が在りたいと思う方向に、自分を軌道修正、確認することが大切だな、ということです。
どうしても点数などの記事が目に付きやすく、無意識に点数をあげたいな、と考えができていたような気がします。すると人間は不思議なもので、自分の描いたそのままに行動を起こします。ブログの副題も150点upを目指す、でしたしね(@.@)
いろいろな意見を読むのはとても楽しい事です。ですがあまりにも噛み砕かずに読み続けていると、いつの間にか自分の考えが人の考えとすり変わったり、正しいと思われる他人の考え方から真っ向から自分の考えを否定してしまうことがありませんか?そしていつもそんな感じで、自分の芯となる考えがないような気がする..(いえ、私だけだったらスミマセン、グスン(;´д⊂))
そしてこの方法は今まで自分がとってきた方法に比べて楽しそうであること。それでこの方法にしています。またこれが全てだなどとも思って居ませんので、多少の勉強方法の変更や試行錯誤はやっています。そういうところが面白く楽しいです(^-^)
勿論楽しい事が楽だとは限りませんが...(-_-;)
