こんにちは!

 

そんなわけで(どんなわけで?→前記事)

今興味があることをどんどんやっている毎日なのでブログが追い付きません💦

 

11月に日本人会史跡資料部主催の

「ベテランガイド顔さんと行く!シンガポール史跡巡りツアー」

に参加してきました。

 

顔さんは1967年にシンガポール人の旦那様とのご結婚のため来星。

52年前ということは、シンガポールが独立したすぐ後ですよね。

周りに日本人がほとんどいない中で、様々な苦労をされながらこの地で生き、日本とシンガポールの戦後からの歴史を深く学び、その史跡をめぐるツアーを長年続けていらっしゃいます。

顔さんのツアーは人気で、すぐに定員が埋まってしまうので、申込開始日の開始時間に即申し込みをしましたよ~。

 
 
日本人会に9時集合して大型バスで出発~
 
●ブキバトの丘
日本軍がシンガポールに攻め入ったとき、激しい戦場となった場所。
砲弾により、木は一本もなくなり、ここから海まで一望できたそうです。
山下将軍の設計で、日本兵死者の慰霊碑と、連合軍死者の霊も供養する大十字架を建立。
今はそれらはないのですが、本を開いた形の戦争記念碑がありました。
 
●フォード工場跡(車窓)
昭和17年2月15日に山下将軍と英軍パーシパル将軍が会見をした場所。
降伏してサインせよ、イエスorノー??と迫り、日本軍がイエスを勝ち取った。
今は資料館になっているそうで、ここは入ってみたかったのですが・・ここはバスから見るだけで、残念。また機会があれば。
 
●クレンジ墓地公園
連合軍第一次、第二次大戦時の日本人以外の犠牲者墓地。
キレイに整備され、青々とした芝生に墓標が並んでおり、名前や年齢が書かれていました。

●ジョホール水道
水道管はマレーシアから輸入した水が流れている管と、シンガポールで浄水したキレイな水を輸出している管がまっすぐ並んでいます。橋の真ん中あたりが国境。
マレーシアのジョホールバルとシンガポールを繋ぐ橋は、第二次大戦時は攻め込む日本軍が渡る前に英軍か水道管のみ残して爆破されたそうです。
日本軍は、人が川に入り、命を懸けて人柱となり、その上を戦車さえも渡ったそうで、たくさんの日本人兵士の命を奪われたそうです。。

●日本人墓地公園
閑静な住宅地の中に、ひっそりとあって「え?こんな場所に?」とびっくりしました。
一時期取り壊し命令も出たそうですが、明治24年ゴム園1万坪が日本人墓地として許されて今に至るそうです。
 
日本軍兵士も多く眠っておられました。
顔さんのガイドは、シンガポールで戦った日本人の方々が異例のために来星された際に、実際に声を聴き、それを語ってくださるので、当時の情景が目に浮かぶよう。感情までも伝わってくるので、何度も目頭が熱くなりました・・

●血債の塔(車窓)
ラッフルズホテル近くにあるこの塔。
何気なく横を通っていたのですが、これは「日本占領時期死難人民記念碑」
4本の塔は中国系、マレー系、インド系、ユーレシアンの四民がしっかり手を組んで今後惨事が起きないようにと願い、建立されたものだったのですね。。
 
日本人会で解散(希望者はサマセットで下車)~
 
 
シンガポールを半周して、約3時間かけてのガイドツアー🚌
自分ではなかなか行けない場所に、ガイドと共に巡ることができて、本当に良い機会になりました。シンガポールに住む日本人として、知っておきたい歴史、向き合うべき事実がそこにはありました。
もっと早く知っておくべきだったと思うけれど、この地を去る前に知れてよかった。
顔さん、ありがとうございました!!