舞台「金閣寺」を観て来ました。
原作は三島由紀夫の「金閣寺」。
それを立体的に舞台の上で表現する作品。
エンタテイメントの舞台や小劇場を多く見ている私としては
たまにはこういった大きな劇場でちょっと頭のよさそうな舞台も
見てみたいなと思ったりして、高いチケット代を払って観に行きました。
やはりそこには想定どおりの高尚な、舞台芸術と呼ぶにふさわしい表現が作り出されていました。
もともとが小説が原作であるという点から、導入部分は朗読から入り、舞台の世界に徐々に入っていく演出。
さらに主人公の目線で書かれている文章の、その美しい文章表現を残すため、舞台の要所要所で
役者とは別に朗読をする役者が登場していました。
それが小説を読んでいるようでもあり、舞台を見ているようでもある感覚に観客をさせていたように感じました。
話のストーリーに関しては小説で書かれていることのままであるので
ここで感想を書くことは三島由紀夫の小説に対する感想にもなるので省いてみようと思う。
今回見るべきは演出と役者。
小説で表現されているものを舞台上で目に見える形に表現する。
これは観ていて新しい感覚で面白かった。
特に金閣寺という存在に対して主人公は脅威と敬意、愛、束縛などの感情を抱くのだが、
そのために金閣寺を擬人化して表現する手法として特殊な声を発するホーメイという歌を
歌う歌手を起用していた。ホーメイを始めて聞いたのでかなりの衝撃だったが、金閣寺の
擬人化にはとても効果的だったと感じた。言葉では伝えきれない存在を特殊な音と声で
感覚に訴える。それが出来他のがホーメイだったのだろう。
さらに主人公が森田剛であることに気づいたのは終演後だった。
2階席で顔がよく見えなかったのもあるが、声も違って聞こえて
訛りも入れたしゃべり方、立ち姿、走り方。
すべてがジャニーズの森田剛ではなく、主人公の役柄であった。
正直この演技力と表現力には驚いた。
あんな大役を一瞬の隙もなく完璧に演じきっている。
この舞台は完全に彼で成り立っている。
ドラマやバラエティーの印象とのギャップに度肝を抜かれました。
内面と外界との扉に悩む少年。
誰もが思春期から青年になるに当たり感じる、自分とは何かという疑問。
自分が思う自分が自分なのか、人に思われている自分が自分なのか。
自分の本質を外界に見抜いてほしいという願望。
そこに複雑に絡んできて、主人公の感情を拘束する父親という存在と金閣寺という存在。
なかなか高尚な舞台を観たものです。