最近神社巡りが続いてます。


古賀愛未衣ですニコニコ



私のお気に入りの春日神社ですが、今回初めて勉強してみましたほっこり


春日神社の歴史は中大兄皇子(後の天智天皇)が
長津の宮(今の高宮 照れすぐ側ビックリマーク)に居られる時に始まります。


中大兄皇子は百済救援のため661年頃筑紫に滞在し、
春日に天児屋根命を祀られのだとか。


なぜ天児屋根命を祀ったのかはてなマークはてなマーク


蘇我入鹿を倒し大化の改新を中大兄皇子が行った時、側近だった中臣(藤原)鎌足。


その藤原氏祖神天児屋根命ということで、何かしらの褒美??だったんでしょうかキョロキョロはてなマーク


(ちなみに高宮には、高宮八幡宮がありますキョロキョロ


調べたら天智天皇(中大兄皇子)が
神功皇后ひらめき電球ゆかりの地と、高宮に祀られたのが始まりだそうです。


神功皇后とくれば應神天皇・玉依姫神ニコ


宇美八幡宮と同じ御祭神でした。


そもそも八幡宮の八幡神は應神天皇なのだとか)


で春日神社ですが、
その後768年藤原田麻呂が太宰府に着任し

藤原家祖神である天児屋根命が祀られていることを知り

故郷の奈良の春日大社から武甕槌命・経津産命・姫大神も迎えられたそうです。


戦乱の時代1586年には全てを焼失してしまいます。


黒田長政の家老 黒田一成が春日村知行領主となった時、
一成の祖先が藤原氏であることから春日神社の復興を命じたそうです。


昔の日本は先祖や神様への思い入れも強く、
より生活に根付いたものだったんでしょうねおねがい


その強く根付いたモノを、戦後アメリカによって消されていったとも聞きますガーン


でも世界で日本の良さが広まっているように、
今少しずつ日本人本来の本質が覚醒していっているのでしょうかはてなマーク






神社の歴史って興味深いですラブ










調べてみると必ず出てくる“○○家の祖神”


一族の勢力を示すために、守り神である神様の地位を高める動きもあったのだとかもぐもぐ


いったい誰がどの様にして決めていったのでしょうかうーんはてなマークはてなマーク


神話と歴史が入り交じり、神功皇后へと繋がっていきますラブラブ







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