僕がブログで最初に書いた記事を要約すると、
「リストラにあって時間ができたから、自分の成長のためにブログを始めた」
ということが書いてある。
「成長したい!」
しかし、よくよく考えてみると「どう成長したいのか」については全く書いてなかった。
そこで今回は、自分がブログでどのように成長したいのかについて、もう少し考えてみたいと思う。
「他人の気持ちが想像できない」というコンプレックス
仕事での議論やプライベートでの他愛もない雑談の中で、
僕が発した一言により空気が一気に変な感じになることがある。
いかにもアスペっぽい悩みだ。まだ疑惑だけど。
僕でも変な空気になったことくらいは察知できるし、何よりも、
「思ったこと口に出しすぎ(笑)」
「もっと考えてから言えよ。」
などのようなことをよく指摘されるから、さすがに気が付くことが多い。
(気づいてすらいないことも多々あるのだと思うが・・)
そんなとき、その理由を後から説明されると、だいたいの場合何がダメだったか理解できるし、指摘してもらえること自体すごくありがたいと思っている。
だが、反論したくなりながらもいつも胸にとどめている気持ちがある。
「あれ、よく考えないまま言ってしまったんじゃなくて、 練りに練った末に出てきた発した一言 だったのになぁ。」
おそらく、そうなってしまうのは、僕が他人の気持ちを想像するのが苦手なことが原因なのだと思う。
普通、他人の気持ちを想像するならば、「反対に自分がされたらどう感じるか」を想像すると思うのだが、僕の場合けっこうな確率で見当ハズレな想像をしてしまうらしい。
そういえば、僕は昔から他人に「髪切った?」とか言われるのがすごい嫌だった。
何か馬鹿にされているような気持ちになったからだ。
しかし、あるとき、多くの人は見た目の変化を指摘されると喜ぶらしいと知って、他の人とずいぶん感覚が違うもんだなぁと思った記憶がある。
この例が適切かはわからないけど、たぶん、こんなようなちょっとした感覚の違いがたくさん積み重なって、僕の空気の読めなさを作り上げているのだと思う。
人間の感情を学びたい
そんな僕だが、他人の気持ちがわからないからと言って、人生に絶望しているわけではない。
なぜなら、たとえ自分がそう感じなくても、相手が喜び、人間関係を円滑にすることがあれば、それを利用しようと心がけているからだ。
例えばさっきの、見た目の変化を指摘する話、
僕は今でも自分の変化を他人に指摘されると不快な気持ちになるが、
他人が髪を切ったり新しい服を着てきたときには「髪切りました?」とか「その服良いですね!」とか言うようにしている。
そして、やはり指摘してあげると喜ばれることが多い。
こんな感じで、人間の感情にとって有効なパターンを学習 し、それを活用すれば、ある程度は快適な人間活動をできるなれそうだという手ごたえをつかんでいる。
そんなことを考えていたら、このブログで「どう成長したいのか」が見えてきた。
テーマは『人間の感情』。
イメージとしては、普通の人が何を欲しているかを人並みにわかるようになりたいと思っている。
そうなってくると、次は、
・どうなったら人間の感情を理解できたことになるのか?
・どうやって学習するのか?
・そもそも人間の感情とはなんなのか?
など、様々な疑問やおかしな点が出てくるが、それらはこれからゆっくり考えることにしたい。
ごちゃごちゃ言ってないで、まずはブログを習慣として定着させたい
目標や計画を立てるとき、僕はたびたび、
いかにも複雑で一見すると壮大な目標を設定してしまう傾向があり、
いざ始まってみると中身が全く伴わない、という状況に陥りがちだ。
確かに、前章で書いたことは僕が「できたら良いなー」と素直に思ったことではあるのだが、
「人間の感情を学習し、生活に役立てる!」だなんて、急にたいそうなことを言い出して・・・
(一番苦手なことなのに。)
このまま放っておくと、今回もいつもの計画倒れになってしまいそうな気がする(笑)
だから、まずはごちゃごちゃ言ってないで、記事を毎日アップし続けることに集中したいと思う。
まずはブログを習慣にすることを目指して、10日間続けたい。
人間の感情、云々はそれからだ。
なんたって、自分のメモ代わりに書いてる単なる個人ブログなんだから。
自由でありたい。