こんにちは。


人生でうまくいっていないことって、何度も何度も心の中で反芻しがちです。

それで、どんどん気分は落ち込み、無気力になっていって、何もかもがうまくいっていない気になってしまうものですね。


挙句の果てに、人生の全てを投げ出して、この現実から逃げ出したい衝動にかられます。

でも、一歩下がって考えてみると、そういう現実を心の深~いところでは、自分がそうなることを

望んでいる、としたらどうでしょう?


何かのせい、あるいは誰かのせいにして、恨んだり、怒ったり、責めたり・・・・することには、

莫大なエネルギーが実は費やされていますから、本当に身体はだるく、へたをすると鬱状態に

なりかねません。


そういう人と共に同じ仕事をし続けていて、無理が溜まり、身体の変調をきたしたので、そういうことを

実感していますが、そういう私自身も実は同じ状態だったことに気がつきましたので、それを

ここでシェアしたいと思います。


その職場を去ってから、新しい仕事はすぐ決まったりもしていたけれども、やっぱり心のどこかで

失敗を願う自分がいたせいか、せっかくのお仕事を二つもお断りし、結局その後はまた振出に

戻っているわけですが、


実は私が、いろいろと恨みや怒りや、うまくいかないことを周りのせいにしていたために、

ますます状況がうまくいかない・・・・・・みたいに感じているのです。


なので、もし同じような状況に陥っている人がいたら、お伝えしたいことは、とにかくそういう

うまく行っていないことを望んでいる自分というものが実は存在しており、そのことを

認めてしまう、ということです。


人や状況を恨んでも、怒っても、良くはなりませんが、自分の気持ちをますます落ち込ませたり、

体力を奪うことはできてしまいます。 だから、そんな風に外側を責めたりしている自分自身のことを

まずは許そうと決めるのです。


「辛かったね」 「苦しかったね」 と言ってあげましょう。

ホ・オポノポノをしている人であれば、ウニヒピリにそう言葉をかけてあげましょう。


「今はすごく苦しく辛いけど、もうそれらを手放しましょう」と言ってあげるのです。

あるいは、「そうだったけど、もういいじゃない?」 「そろそろ、許してあげましょう」と

言ってみるのです。


本当は許せていないのは、その誰か、や、何かではありません。

本当に許せていないのは、そんなことに陥ってしまってる自分自身なんです。


だから、「許す」ということは、簡単にはいかないことかもしれませんが、

本当に大切なことなんだなあって思っています。


自分が自分自身を、その人生がうまくいっていないから・・・・という理由で責め続けたりすることは、

本当に毒を身体に盛り続けているようなものなのですから。


もう、いいじゃないですか?


私は、許してしまうと、すごーく損した気分になるのが嫌だったんです。

自分をこんな目にあわせた人たちも辛い目に合えばいい・・・・と呪ってました。


でも、その呪いは古くからある言い伝えの通り、自分に跳ね返ってくるんですよね、いつかは・・・・。


だから、「もう、いいよ」 「苦しいけど、もういいじゃない?」 と、ウニヒピリに言って、

対象としている人達を許そうとします。 そして、次にそういう自分を苦しめ続けた人たちの

幸せを願うのです。


このことは、本当に辛い時、苦しい時には、頭で理解できても、実行できるものではありませんよね。


そうなんです。

そこが、人生うまく人と、そうではない人の「違い」だと思います。


私自身が身を以て体験したことは、できる限り早く全てを許して、幸福を願うということが

人生でうまくいっていないところを速やかに違う状況へと脱出させていくポイントだと思いました。


人を許せない時に、簡単に許せる気持ちになるには、まず自分を許せてないのだ、というところに

気づいていくことが必要です。

本来、私たちは完全な存在なのですが、でも完全じゃない!とイライラしている自分も

愛してあげて下さい。


もっとうまくいくはずだった・・・・という後悔している自分も、ある意味完全なんです。

そこにジャッジしている部分があるので、完全でない自分が嫌いなだけです。


だから、もっと自分に優しく、寄り添っていて下さい。

そして、他人が気になっているようであれば、許して、幸福を願ってあげて下さい。


すると、不思議なことにまとわりついていた暗黒のエネルギーがサァーと晴れていくように、

心も軽くなっていくことを実感できると思います。


そういう思考のエネルギーって本当に重たいのですね。

だから、無理にでも、許して、幸福を願うことをお勧めします。


今、こうして書きながら気づいたこと・・・・・

それは、許してしまうと何だか損するような気持ちになっていたのは、

自分を傷つけた人たちが幸せになると、自分はその時にもまだ不幸でいるから・・・・という思い込みがあったからなんですね。


でも、真実は、そういう人たちが幸せになっている頃には、幸せを願った自分自身はもっともっと幸せになっている、ということだと思います。

ああ、そういうことだったのかぁ・・・・・と思います。^^