おはようございます。
今日は、確か雨の予報だったような気がしますが、外は晴れてます。^^
さて、現実に起こることは全て例外なく自分の内側で起きていることの反映と言われています。
スピリチュアルなことについて、少しでも学んだ人であれば、馴染みのある言葉だと思いますが、
この真実ほど簡単に受け入れられることはないのでは?と思いますね~。
私自身も、本やネットやあるいは人から・・・・・と様々な方法でもう何回聞いたり、読んだりしたことか分かりませんが、未だにどこか人生でうまく行っていないことがある度に、誰かのせい、何かのせい、にしていますし、それに気づいてもまだ感情面で折り合わず、しっかりそのまま残していることがあります。
例えば、今現在のことで言えば、私が非常に辛くて大変な状況の職場にいた時に、その辛さや苦しさを誰かに聞いてもらえば立ち直れる、と期待し、友人にお茶しながら聞いてもらおうとしたことがあります。
けど、その友人は、話を聞くどころか、そこのコーヒーショップに知人に似た人がいる・・・・とかで、
その人の事が気になって気になって仕方がないようで、ちっとも話を聞いてくれませんでした。
結局私は、それもショックだったし、話を聞いてもらえないことでストレスが最高潮に達し、職場を去らざるを得ない・・・・、つまり体調がさらに悪化してしまったのです。 その時には、身も心も弱ってたから自分の心の叫びに気づきませんでしたが、今となれば、あの時にその知人がきちんと話を聞いていてくれていたら、辞めずに済んだという変な確信があるんです。
仕事に纏わることに関しては、私、そんな風に誰かに貶められるという経験が多いことに今気づきました。
ということは、無意識のレベルでそれを創っているわけだけれども、クリーニングすると共に、
これからは、孤独を選ぼう、と思います。 結局、それが誰であれ、私が友人、知人、あるいは家族でさえ、自分の話を聞いてもらおうと”期待”することほど、愚かな行動はないのです。
もし、誰かに話を聞いてもらおうとするならば、腕の確かなセラピストであるべきです。
本来であれば、私の信頼しているセラピストのところへ行ったと思うのですが、当時本当に体調が
どんどん悪化していってて、都心にオフィスのあるそのセラピストのところまで行くことが
できなかったんですね。
ですから、身も心も弱っている時にとる行動って、どこかちぐはぐなことも分かります。
だから、そんな時は思い切って、孤独を選択する、というのが私には良い方法のような気が今しています。
それと、今就活中ですが、これも孤独を選択しなかったばかりに、離職することになったのと同様のことが現在進行形で起こっています。
どうも私は孤独に弱い人間なんだろうと思います。 辛くなったり、苦しくなったりすると、ついつい友人や知人と話したくなってしまうんですね。
でも、良く考えてみれば、私の今近くにいる友人知人たちは、スピリチュアルな事柄に関心が全くなく、当然そういった知識がなく、更に知的レベルの面においても、劣る人たちばかりなんです。 しかし、彼らは経済面で言えば、お金を相当額貯金していて、お金の心配が全くない人たちなんですよね。
年収も30代前半ですでに1000万円近く・・・・。 その経済面のことについては、本当に尊敬しているのですが、心理面や精神面では、そういう人たちに話を聞いてもらおうとすること自体が間違っていました。
毎回話を聞いてもらうつもりが、私の方がいつの間にか彼らの悩みを解決するはめに・・・・。
そうして、気づくと毎回自分がマットレス状態になった感じになるんです。
ああ、そういえば、毎回自分が踏み台にされる、とか、マットになった気持ちになるっている信念を
初回のアバターの時に出てきましたね。
まだ後生大事に持っていたんですねー。 驚きです。
透明になってしまった信念に気づかなくても、クリーニングできますが、でもピンポイントでのお掃除は、
こんな風に発見できた方がうまくいきそうです。
本当に色々と勉強してきて良かった・・・・と思うことの一つに、こんな風に問題解決の展開ができるってことがあります。 まあ、それだけの費用も費やしましたけどね。
でも、これからは辛い時、苦しい時こそ孤独を選ぶことを忘れずにいたいと思います。