「足りない」って、ずっと思ってた。
もっと学ばなきゃ。もっと整えなきゃ。もっと成長しなきゃ。
そうしないと、安心できない気がしてた。
でも、ふっと気づいた。
すでに持っていたって。
ご飯は食べられてる。
暖を取れる家がある。
水が出て、お風呂に入れる。
今日が終わって、布団で眠れる。
「お金がない」って言い方をしてたけど、
本当は“ゼロ”じゃない。
ちゃんとある。
じゃあ私は、何を探し求めていたんだろう?
たぶん、答えはこれ。
安心。
でも、私は安心を外に探してた。
誰かの言葉。誰かの承認。誰かの正解。
「こうすれば良くなるよ」っていう、保証。
そして気づいた。
その外側の安心って、結局いつも期限切れになる。
一瞬は満たされても、また不安が戻ってくる。
だからまた探す。
また学ぶ。
また頑張る。
…その繰り返し。
私は、知らないうちに
「価値=評価」になってたんだと思う。
できる私には価値がある。
成果が出る私には価値がある。
お金がある私には価値がある。
存在感がある私には価値がある。
こうなると、日常がずっとテストになる。
うまくできたら合格。できなかったら不合格。
そんな世界で生きてたら、そりゃ疲れる。
でも本当は、価値って評価じゃない。
価値は“上げるもの”じゃなくて、
ただ「ある」もの。
私はずっと、証明しようとしてた。
分かってもらおうとしてた。
説明して、納得させて、共有して、揃えようとしてた。
その方が安心できると思ってたから。
でも今は分かる。
説明しようとするほど、私は自分から離れてた。
- 見えても、やらない
- 分かっても、引き受けない
- 感じても、背負わない
- 関われても、入り込まない
これができると、静かになる。
世界が落ち着く。
人の人生を奪わないし、自分の人生も奪われない。
そして、存在感って
出さない方が深くなるってことも知った。
目立たなくてもいい。
役に立っている証拠を出さなくてもいい。
私は「ここに居ていい」のに、
ずっと“居る理由”を作ってた。
だから探してたのは、何かの能力でも、資格でも、答えでもない。
ただ、自分を信じて居ていい感覚だったんだと思う。
すでに持っていた。
それを思い出すだけだった。
もし今、同じように探して疲れている人がいたら伝えたい。
「足りない」って思ってる時ほど、
足りないんじゃない。
ただ、外を見すぎてるだけ。
今日を生きられているなら、
もう土台はある。
あとは、余計な力を抜くだけ。
証明をやめるだけ。
説明をやめるだけ。
探さなくていい。
ここにある。
