アレクサンドリアでは、市民の反乱も一時的に鎮圧され、

クレオパトラ2世はクレオパトラ・テア・フィロメトール・ソテイラ

(愛母女神、救済王、クレオパトラ)として

単独でエジプトを統治していた

こうなる予感はあったものの怒った

プトレマイオス8世は、12歳になっていた

メンフィテスを殺した

身の毛のよだつ話だが、彼はイシスとオシリスの

神話をうわべだけまねて、メンフィテスの体を

ばらばらにすると、高価な箱に入れて

母のクレオパトラ2世のもとに送り返したと伝えられている

ところで、神格化されたアレクサンドロス大王の

儀礼はそれまでは男性だけが執り行なっていたが

クレオパトラ3世はこの儀礼で女神官を務めるようになっていて

その奉仕に対し、彼女自身が女神として神格をあたえられた

現人神のクレオパトラ3英の儀礼は

ローマ帝国の版図へと広まっていた古代の

イシス女神信仰と密接に関係づけられ

女性の神官ではなく男性のしんかんがとりおこなうようになっていく

その生涯を通じ、クレオパトラ3世は、ホルス神の母であるとされ

聖牛アピスの母であるイシス女神との関係がくわわって

クレオパトラ3世の統治権が正当化された

女神との関係を強調したプトレマイオス朝の王妃は

彼女がはじめてではなかった

ベレニケ1世やアルシノエ2世、クレオパトラ1世も

みずからをイシス女神と関係づけている

だが、イシス女神はさまざまな形をとるが

イシス女神の生きた化身として崇拝されたのは

クレオパトラ3世がはじめてだった