プトレマイオス10世は10年間

単独統治をおこなったが、アレクサンドリア市民が

王の放縦な生活態度に嫌気をさして

王に背を向けるようになった

王は逃亡を余儀なくされ、空位となった玉座は

兄のプトレマイオス9世が引き継いだ

その9世には少なくとも妻が2人いたことがわかっている

2人とも妹で、クレオパトラ4世と

クレオパトラ・セレネである

王妃はともに、夫より長生きしたが最後には

暴力によって命を落とした

クレオパトラ4世はダフニにあるアポロン神殿の中で

アポロン像にしがみつきながら、無惨に殺された

クレオパトラ・セレネは4回結婚することになるが

最後には地中海東岸の古代都市セレウキアで処刑された

プトレマイオス9世は晩年に自分の娘である

ベレニケ3世と結婚したともされているが

プトレマイオス朝において、父と娘の近親婚は

ほかに例がなく、それを裏付ける証拠はほとんどない