前130年にプトレマイオス8世はエジプトに戻り
クレオパトラ2世はやむをえず
身の安全を期してシリアへと逃げた
奇妙なことに、6年後に彼女はエジプトへと帰還し
弟の和解した
そして、短い期間であったものの
クレオパトラ2世と娘のクレオパトラ3世
この親子の夫プトレマイオス8世はふたたび
3人の気詰まりな同居生活へと入り
エジプトを共同統治した
しかし、クレオパトラ2世は、前述のように
しだいに神性を増す娘を自分の上位につけることはなかった
プトレマイオス8世は前116年に没し
数ヶ月後にクレオパトラ2世も亡くなると
クレオパトラ3世は息子2人(プトレマイオス9世、10世)
のために共同統治者を務めることになった
彼女の亡き夫は奇妙な遺言を残していた
現代人にはどうにも理解に苦しむ遺言の内容は
2人の息子のうち王位継承者をクレオパトラ3世に
決めさせるというものだった
母子3人のぎくしゃくした共同統治が始まったが
最初は弟10世が、ついで兄9世が
母殺しの陰謀を企んだことを告発されて、国外へ逃亡した
母は終始、弟10世をひいきにしていたので
この告発は捏造だった可能性が高い
こうしてクレオパトラ3世とプトレマイオス10世は
2人でエジプトを統治し、この共同統治時代は
前101年にクレオパトラ3世が60歳で亡くなるまで続いた
クレオパトラ3世はほぼまちがいなく
お気に入りの息子に殺されたと考えられている