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ラジオde法話、火曜日は高岡市戸出、明覺寺住職、林が担当します。042823F(2582字)

 

リスナーの皆さん、おはようございます。

風薫る若葉の5月です。

先月の終わり頃から田んぼには徐々に水が入り始め砺波平野が水で満たされるとカイニョと呼ばれる屋敷林に囲まれた東立ちの古民家はさながら海に浮かぶ小島です。

砺波平野に広がる散居の景色はこの時期が最もきれいだと言われています。

特に夕焼けが映える「里海」の景色はプロの写真家が狙う観光ポスターの絶好の被写体です。

平村から城端に至る304号線の展望駐車場の眼下に広がる砺波平野の散居村は正に絶景です。

小矢部川と庄川の扇状地いっぱいに広がるこれだけのスケールの散居村は日本でもここだけだそうで社会科の教科書にも載っているそうです。

元来、扇状地は水はけが良すぎて水田には向かないそうですが砺波平野では小矢部川水系、庄川水系に網の目のように広がる水路を活用し、それぞれの農家が水はけの良すぎるザル田の保水管理を徹底したことで水田と農家がセットで次第に網の目のように広がり散居村を形成したと説明されています。

散居村のカイニョには杉やヒノキやケヤキが植えられ強い南西風から建物を守っています。

カイニョからの枝や落ち葉は住人に燃料を供給し、その灰は灰小屋に集められ貴重な肥料となりました。

私も小学生の頃はスンバを集めて風呂を沸かすのが仕事でした。

カイニョは根っこが深くて保水力に優れ地下水脈を安定させる機能もあるようです。散居村には東立ちの古民家が多くワクノウチと呼ばれるガッシリとした木枠で支えられた広間を備えています。

かつて、この広間は半公共の場所で浄土真宗独特のお講と呼ばれる法話会が持ち回りで行われたそうです。

建物を表す「アズマダチ」という言葉にも玄関を東に建てて南西風から守ると同時に玄関を東にすることで、お仏壇が西方浄土に向かうようにしつらえたという経緯もあるそうです。

散居はこのように浄土真宗と深い関係があるといわれていますが、実は散居には加賀藩の浄土真宗門徒管理の意図もあったと言われています。門徒宗、一向宗と呼ばれていた16世紀頃の本願寺勢力は身分の貴賤上下、職業、年齢、男女の区別にもとらわれない強い結束力を誇る集団で、当時の戦国大名にも匹敵する勢力を持っていました。11年にも及んだ織田信長と本願寺顕如のいわゆる石山合戦を経て1582年、天正10年3月に鳥越城の一揆が殲滅されるまで北陸の地には一世紀に亘る「百姓が持ちたる国」が存在していたのです。

後に、この地を支配した加賀藩にとっても浄土真宗勢力との付き合いは、ある意味、頭の痛い問題だったようです。

そのため加賀藩は散居の中の浄土真宗門徒の、お互いの水利を巡る利害問題に、わざと介入して、門徒同士の中に相互監視体制を作り、門徒の結束力を弱めるために積極的に散居を容認した意図があったようです。

加賀藩が、わざと田んぼの高さを変えるなどして取水の順番に介入し微妙に農民の中にも取水権を巡る身分制度を持ち込み、本家とか分家とかで、いがみ合うように、わざと仕向けていたというのです。

これが散居を意図的に維持することで加賀藩は、うまく門徒の結束にブレーキをかけたという説になったようです。

そういわれてみると砺波平野に住む人の気質には他人をやっかむ、やっかいなところがあるような気がします。

その背景には加賀藩の散居を利用した支配体制の名残があるのかもしれませんね。

砺波平野だけの気質ではないかもしれませんが、この地域には本家、分家のやっかみに始まり、子供のやっかみ、孫のやっかみ、子供や孫の学歴のやっかみ、嫁のやっかみ、建物や家具や庭のやっかみ、はては自動車や電気製品のやっかみまで、実に多くのやっかみを交えたうわさ話を好む気質があるような気がします。

よそから砺波平野に嫁いできた人が驚くのも、どうやら、この点のようです。

隣の子がどこに進学しようが、どこに就職しようが、どんな車に乗っていようが、何時に帰ってこようが大きなお世話です。

距離の近いコミュニケーションは、それなりに必要でしょうが最近のプライバシー養護との兼ね合いも難しいところではありますね。

私の家内のように京都出身だとなおさらで、寺の近所は呆れるほどうわさ好き、詮索好きで、よその家のことを双眼鏡か何かで観察している人がいるんじゃない、と冗談を言うほどです。

散居の歴史が砺波平野に住む人の気質に関係あるという説があるのは分かりました。しかし、人は散居も含め気候や民族や言語や教育、親や友人など、周囲から多大な影響を深く受けているのは事実でしょう。

周囲の環境が本人の態度物腰に反映して、逆に本人の態度物腰も周囲の環境に反映していると言った方が相即不二で仏教的かもしれませんね。

38年間の教員生活の経験から言いますと高校の先生はそれなりに同じような態度物腰になりますし、中学の先生もそれなりに同じような態度物腰になります。

小学校の先生もそれなりに同じような態度物腰になるようです。

採用されたときには殆ど違いがなかったはずなのに長年に亘って生徒さんから影響を受けて変化したということなのでしょう。本来、他人であるはずの夫婦も何となく似てくるように環境が人を決め、人が環境を決めることはあると思いますね。

服装がきちんとしている人は仕事もちゃんとできるとか、部屋がきちんとしている人は頭の中も整理されているとか、その逆ということもあるのかもしれませんね。

環境が態度物腰に滲み出て、態度物腰が環境に滲み出ると考えると、なんだか怖いですね。

思えば過去に私に届いて来たご縁は何一つ選べませんでした。

これから届くご縁も恐らく何一つ選べないでしょう。

今後どんなご縁が届いて来ても、奢らず、腐らず、自分勝手な理屈をつけず、選ばず、逃げず、油断せず、ひとつひとつの現実と丁寧に向き合えば、それなりの態度物腰が備わるようになるのかも知れませんね。

 

今朝は散居村が砺波平野の人の気質に微妙に影響しているのではと言う説からネット情報溢れる現代においては何事も現実味が薄れているので、選ばず、逃げず、油断せず、出来るだけ手抜きをしないで丁寧に現実と付き合うべきではないでしょうかと言うお話をしました。

 

それでは皆さん、お体を大切に、お聴聞を重ねつつ、今日も一日、元気に過ごしましょう。

 

カイニョとはー砺波カイニョ倶楽部ー | 砺波かいにょ倶楽部 (tonami-kainyoclub.com)

 

第1回ラジオde法話 2015年8月放送 | こよみの健康情報 ニッポンの知恵 (ameblo.jp)