2014 日本空手協会
シェアのあった動画はこちら👇
https://www.tiktok.com/@kennyyoshioa/video/7084961142690352386?_t=8RbtjQfrwNV&_r=1
私の経験からも間違いなく言えることは、障害を背負った人たちがそばにいるという雰囲気は、人々の中に、子供たちのなかに自然に思いやり、優しさが生まれているということです。最初はたまたまそうかなと思ってましたけれども、でも本当にそうなのです。これは多くの人たちが同じことをおっしゃっています。
👆
日本では乙武さんですね
👆の記事は2001年でしょうか
Dave Kengenで検索すると
現在の姿がみれました👇
https://m.facebook.com/dave.kengen.5
またこんな記事もありました👇
👆翻訳してみる👇
2016.1.13
下のビデオはFacebookでラウンドを行っており、友達と共有しましたが、それでも、デイブ・ケンゲンの素晴らしいパフォーマンスに注目する以外の理由がなければ、もっと言う必要があると感じています。 私が以下に書いていることは、ケンゲン氏または彼の業績を軽蔑することを意図したものではないことを今すぐ明確にしたいと思います。 それどころか、私は彼が成し遂げたすべてのことに深く感銘を受けました
写真とビデオからわかるように、ケンゲン氏は重度の身体障害者です。このように生きるのはどういうことなのか、だれもほぼ理解しているふりをすることすらできないと思います。それでも、写真とビデオからもわかるのは、ケンゲン氏が空手家を練習しているということです。
誰が考えただろうか?
私を含む私たちのほとんど(私たち全員?)は、ケンゲン氏が明らかに直面しているような身体的課題を抱えている人が、そもそも道場でトレーニングするために立ち上がるとは信じられなかったと思います。茶色のベルトランキングを達成します。
そして、私が話したいのはこの茶色のベルトです。
多くの人がベルトがどれほど重要でないかについて話します(まあ、私はたくさん言います...おそらく6段以上のグレードの多くが最も騒がしいように見えるものだと言う方が公平でしょう...彼らの「重要でない」を放棄することなくグレード…)。多くの人が、ベルトのグレードがどのように商品化され、獲得されるのではなく売買される商品になったかについて話します(ベルト自体だけでなく、ベルトが意味すると思われるランク)。多くの人が基準の低下について、そして今日の黒帯の価値が数十年前よりもいかに少ないかについて話します。
ケンゲン氏がこれらすべてに当てはまると思われる場所を検討していただきたいと思います。
型を始める前にバッサイダイの演奏を発表せず、それに伴う3人の女の子の演奏がなければ、私たちの多くは型が何であるかを認識しないと思います。細心の注意を払えば、演武や動きのタイミングはわかるかもしれませんが、テクニック自体は、バッサイダイのものとすぐに分類するのは難しいでしょう。ムーブメントの用途について、実用的だと思うことはありますか?ケンゲン氏を本当に攻撃して傷つけようとしている女の子はいますか? 2本の腕と2本の足でそのようなパフォーマンスをしている人は、おそらく採点に失敗するでしょう。
2本の腕と2本の足を持たない人は(当然のことながら!!)彼の勇気とスキルで賞賛されています…そして茶色のベルトレベルに達しました。
ケンゲン氏のような人に提示された場合、標準化された評価システムは効果的に機能しません。
しかし、標準化された評価システムがなければ、確かに標準は下がるでしょうか?
ポイントを証明するのに極端な例で十分なことはめったにありません。しかし、極端な例は議論のポイントをより明確にするのに役立ち、ケンゲン氏のパフォーマンスはこの後者のカテゴリーに分類されると思います。したがって、ケンゲン氏の例は非常に多様である可能性がありますが、それにもかかわらず、おそらくすべての道場のすべての先生がいつか直面する問題を明らかにしています:必要なものを達成できない学生と賢明に採点することは何ですか?物理的な基準ですが、同時にライオンの群れの心臓部を持っているのは誰ですか?
私はあなたに提供する決定的な答えを持っていません。これは考えて考えるべきことです…おそらくあなたの人生の残りの間。
そしてケンゲンさんへ…おっすう!!!
ケンゲンさんの空手の動画をみて
氣迫は感じました
だけど 頭の中のもうひとりの何者かの囁きでは
対する人に触れないで 本当に倒したのか?と疑問にも思えました
👆の翻訳は意味が通じない日本語ですから何となく察して読んでみたのですが
また 山下さんの言葉も合わせてみると
私の疑問も解けた氣がします
365人の仕事の教科書 4/21 飯田亮 セコム会長 エネルギーは出し切れ
充電するには、時間などかからないし、
使えば使うほど、充電されるものなんです。
自分なりに結論が出るまでは誰にも相談しない。
自分の中で決めてから相談するのはいいのですが、
どうしようかと迷っている時に誰かに相談してしまうと、
もうそれでいいやと思ってしまって、集中力が半減してしまうんですね。
徹底して一人で考える。
思いついた考えを書き留めて、それをファイルしておき、
それをまた見返して書き足して事業のデザインをしていく。
その間、それがある結論に達するまでは、どうしたらいいだろうかと人には一切相談しない。
👇に本文の全文あり 👆は抜粋文です
飯田氏の言葉の抜粋文だけでは 意味が通じないですよね
そして 反論も湧いてくるかもしれません
人の意見をジャッジせずに受け止める
そして飲み込んで消化させる
自分なりに考えてみることも今の時代には必要なことなのかなと思いまして
すっきりと頭に入らないので
再度 こちらもご紹介します👇
エネルギーは使えば使うほど
貯まるものらしい
365人の仕事の教科書からの話を👆
昨日、実験してみたよ
朝からウッドデッキと面する窓をホースで水洗い
デッキブラシとナノソイでゴシゴシ
その後、実家の大きく育ちすぎた植物を撤去作業
枝を切って、バラして、束ねて
その後ウッドデッキを紙やすりで整えてペンキ塗り
疲れる
という思い込みを手放して
パワー充電した
と思うと動ける動ける
ちょっと頑張った話でした