wikipedia[マイケル・サンデル]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB



「すなわち、<正義>だとか<正しいこと>だとかいうのは、

自分よりも強い者・支配する者の利益であるから、それはほんとうは、

他人にとって善いことなのであり、服従し奉仕する者にとっては

自分自身の損害にほかならないのだ。」

                                         -プラトン『国家』、343c


「不正な行為をするというのは、『一般的に善いもの』をより多く、

『一般的に悪いもの』をより少なく、自分に割り当てることにほかならない。」

                                 -アリストテレス『ニコマコス倫理学』、1134a


「真理(truth)が思想という諸体系にとって第一の徳目であるのと同様に、

正義とは社会の諸制度の第一の徳目である。」

                              -ジョン・ロールズ"A Theory of Justice"、3頁





マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房、2010年5月)


HP: http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112569.html


(元本)Michael.J.Sandel, "Justice; What's The Right Thing To Do?", Farrar Straus & Giroux, 2009



サンデルはコミュニタリアンとしてロールズを批判したことで知られているが、


そのサンデルのハーバードでの講義をもとにして2009年にアメリカで出版された本が、


日本で訳され、出版された(る)。



現代の正義論の起爆剤となったロールズの『正義論』が出版されたのが1971年。


爆発したのは1980年代だとするのが一般的であるが、


「正義」についての思想家のアイディアは十人十色、様々に異なっている。



どれか一つの思想家の立場をとってもいいが、自分で考えるのもいい。


たとえば、「今自分が生きている国の法律を遵守すること」。



「悪法も法である」といったのはソクラテスとされている。


しかし悪法というのは、その法を蹂躙するときと同時に、守るときも犯罪的だということができる。


例えば、1948年以降のアパルトヘイト。



人は皆平等だとする考えが流布している今日、肌の色で人を差別するのはおかしいというのは、


一般的な考え方である。


では、どうして人は皆平等なのか。どういった点で平等なのか。


私たちは選挙のときにたった一票(人によっては「偉大な一票」というが)を平等に持ち、


裁判において平等に処遇される。



しかし、所得・富・機会・権力・権利・自由(ロールズの言う「社会的基本財」)は


人によってまちまちである。


赤ちゃん・学生・サラリーマン・老人では、自由も権力も様々だし、


同じ学生でも都会の学生と地方の学生では大きく異なる。


その他にも、生まれつき障害をもっていたり、奴隷として生まれたのでは異なる。


すなわち、健康・知性・気力・想像力・先天的才能(ロールズの言う「先天的な基本財」)は


生まれてきた時点で大きく異なっているのである。



このように、正義について考えるというのは厄介である。


しかも、人々の価値観の対立は、


人工妊娠中絶、テロリズム、戦後補償、核兵器、性差別、国家間の経済格差、


実際の様々な問題に必ず付きまとっているのである。



これらを解決する唯一絶対の基準(これを「正義」という言葉で置き換える)を


見出すのは困難だから、今日の正義論は諸々の理念(アイディア)の妥協だと言える。


とすれば、私たちに残された正義を発見する方法は、


「正義について議論する」、これだけである。




Feci quod potui,
faciant meliora potentes.

「我あたう限りのことをなせり、
これよりよくなさん人あらば、それに任せん」

チェーホフ著、浦雅春訳『三人姉妹』(光文社、2009年)


人には得手不得手がある。
自分が相手に
全てを与えられるわけでもなければ、
最善に与えられるわけでもない。

もしあるとするならば、
それは自らを捨てて他者に任せる愛である。



wikipediaリンク


人間というものは、決して自分自身をしることができず、

決して自分自身を純粋に客観的に観察することができないものだ。

他人は私自身が自分を知るよりももっとよく私をしっている。


                                               -ゲーテ



だからといって他人の言うことばかりあてにしてはいられない。


自分が他人を純粋に客観視できないことに起因する。


他人と比較して自己を明らかにする。


背比べするんじゃなくて、自分をハッキリさせる。


「自分になくて、他人にあること」、「自分にあって、他人にないこと」を知るんじゃなくて、


ただ「自分にあるもの」をハッキリさせる。


最初の第一歩は、そこにあると思う。




日々を曖昧にしないこと。


日々を何気なく過ごさないこと。


日々を漠然と生きないこと。



「日々」から脱却して、一日一日を踏襲すること。


常に進歩できる人は珍しい。


無駄な時間も成長に繋がるとはいえ、退化はそれを上回るスピードで進む。



日々を曖昧にしないこと。


外からの刺激に頼りすぎないこと。


自分で立ち進み、立ち向かう勇気を忘れないこと。



日々を何気なく過ごさないこと。


ハッキリと今を感じること。


今を意識して、目を覚まして、自分を投資すること。


未来、明日を強くイメージして、理想の自分を求めること。



日々を漠然と生きないこと。


自分になすべきことを感じること。


自分の使命を知ること。


大きな世界の小さな自分を見ることができること。



~最近~


ゲオルギー・ダネリア監督『不思議惑星キン・ザ・ザ』(モスフィルム制作、1986年)


ニーチェ著、竹山道雄訳『ツァラトストラかく語りき』(新潮文庫、1953年)


チェーホフ著、浦雅春訳『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(光文社古典新訳文庫、2009年)


ジュディス・バトラーその他



aikoをかなり聞いてます。


アルバム『BABY』もニュー・シングル『向かいあわせ』もとっても好きです。