ニート生活いや老後生活いや、浮浪者生活いや自分自身と向き合う生活がかれこれ6ヶ月目。

めちゃくちゃ寝て、好きな時にランニングして好きな時にヨガして本当に贅沢すぎる日常である。

贅沢な生活が日常になってしまうと”当たり前”になってしまってその後”飽き”がきてしまう。

 

人間が持っている恒常性機能って本当にすごい。スマホ、パソコン、ネットショッピング、車、バイク、と文明の発達によって世の中めちゃめちゃ便利になりました。便利なスマホが出た際はみんな感動していたけどそれが”当たり前”になってしまうと、感謝や感動がなくなり、もっと便利にもっと快適や快楽を求めてしまう。人間の欲望は無限である。

 

だからこそ日常に溢れている物や自分自身の体や心、全てが当たり前にあるようでないんだよね。

だからこそ

 

”感謝する”

 

心理学で出てくるユングの集合体無意識という言葉がありますが、誰からも教えてもらっていないのに気づいたら無意識に”自分”という存在に気づいたりすることがある。

親からの教育もあるが無意識下で働かない奴は無能(ひろゆき風笑)とかダメなやつとか低収入はよくないとか勉強できないから生きている価値ないとか、色々無意識下でジャッジをしている。←私もよくやりがち。

実際は”生きている価値”はあるんだよね。これに気づかず特に若い人は社会に絶望してしまって(僕もかつて絶望してました笑)最悪の結果自殺してしまうんだよね。

障害者について最近興味があって就労支援B型のカフェとか行ったりしていたのだが障害者の方は就労支援B型で働けても平均月収1万5千円と言われています。むしろ働きたくても働けない人もいると思います。その理論、その色眼鏡をかけてしまうと障害者は生きている価値がないということになってしまう。そんなことはなくてその障害者の方や僕のようにニートで働いてない状況の人がいたとしても、家族の人やまだ出会っていない誰かに対して笑顔や喜びを与えられたらいいのではないか、たとえ誰も喜んでくれる人はいなくとも、子供が生まれることは精子約2〜3億個 卵子は10万〜2、3万個(年齢によって変化あり)が奇跡的に出会って妊娠して子供が生まれるってことはほんと奇跡やなと思いました。生きてるってことは喜怒哀楽を味わえるチャンスだからこそとってもいい経験、素晴らしいと思います。

 

 

 

 

そういえば、この記事を書いていて思ったのだが、僕がブログとかSNSを発信し始めたのは若い人これからの日本を担う人、次世代に希望を持って生きていってほしいからです。

 

人は必ず死ぬからこそ、”今”やれることを最大限やることこそ”使命”だと痛感しています。

僕は今ままで正直社会は腐っていると感じていました。しかし2021年ごろから始めたヨガや瞑想によって少しずつ、少しずつ認知(心)の歪みが心地よい位置に調整できている感覚があります。今日なんとなく洗濯や食器洗いやお風呂で使ったりする水、いわゆる生活用水はどこに行くのかというと下水管やマンホールから浄水場とか経由して消毒や濾過されて川や海に流れていることを知って改めて感謝やぁと思いました。。