コラム) 中田喜直氏が語る「君が代」

 

 これからの節目のシーズン。「君が代」が歌われる場面も多々あると思います。

 『夏の思い出』などを作曲した日本を代表する作曲家の一人である中田喜直氏。

 約半世紀前の昭和35年(1960年)、中田氏は「君が代」について次のように語られています。

 

「 国歌「君が代」は日本語の歌ではない・・・・・・?

 よい歌曲は、言葉(歌詞)とメロディーがよく合っていて、自然にきこえなければいけません。海が、膿になっては困ります。

 「君が代」 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

 これを歌うと、君が代は、どうしても君がぁ用は、と聞こえます。(君もアクセントが逆で、卵の黄味になる。)

 それに音楽的なフレーズが、千代に八千代にさざれ、で切れて、さざれ石という言葉が、さざれ、と、石、と真ん中で割れてしまうように、歌われやすいのです。最後の所、こけのむすまで、が、むうすうまあで、と無理な引伸しが、更にこの曲を非常に不自然なものにしています。

 要するに、歌詞の長さとメロディーの長さがまったくつり合わず、メロディーに較べて歌詞が短すぎるので、無理に引伸ばしているのです。ですから、この曲を大勢で歌うと、お経のように意味がわからなくて、間のびした、だらしのない感じになってしまいます。

 メロディーだけは、日本的な感じのする、決して悪いメロディーではありませんから、歌詞だけを変えて、本当に正しい日本語に聞こえる歌にしたいものです。(中略) 歌詞が、「べんけいがな、ぎなたをもって」式(註:べんけいが、なぎなたを持って、が正しい所を、句読点の間違いでおかしくなるたとえです。)のおかしい所があるので、詩人や、音楽家たちが協力して、国民すべてが納得するような、立派な歌詞を作って、本当のよい国歌にしたいものです。」(『メロディーの作り方』32-35頁)

 

 楽曲としては見直されることも無く、今ではすっかり定着してしまいました。