去年だったか…一昨年だったか…。
年賀状を書く時間がなくて、のびのびになってしまって…いまさら「明けまして〜」でもなく…かといって、その後に書くマメさもなく…
気軽にラインやメールで連絡とってる人達に、サクっと「賀状、遅れてごめんね」みたいな話しになって、そしたら相手も「なんかさ、もうよくない?うちらさ、これでいいよー」ってまとまった。。。
考えてみたら、判で押したように「また会おうね」とか「会えるの楽しみにしてます」なんて書いておいて実行されたことは無い…。
年に一度のご挨拶でも社交辞令なら、この先もそうだろうな…ってことで、思い切ってやめてみた。
「その後も連絡を取りたい」または、そこそこ繋がっていたい人のみ「賀状をやめるので…今後はこちらにて」と、ラインなりメールなりを添付して。
母の葬儀を家族葬にして、もう親類縁者も他界している事に加えて、縁を切りたい親族には、連絡をしなかったし、新聞の「お悔やみ欄」にも載せず。。
義理のお付き合いも、もう潮時かな、と思って…
賀状もやってみた、というわけです。
頂いた賀状を一枚一枚見直してみて…今でもお付き合いがあるのは、4、5人で、あとは皆、かつての職場繋がりだったり、子供が小さかった頃のママ友だったり…少ない親戚だったり。。。
もう、「義理のお付き合い」はいいかな。
究極の問いを、自分にしてみた。
「自分が近くこの世を去る時に、知らせたい人って誰か?」と。
すでに両親は無く、その親戚もない。
私はひとりっ子なので従兄弟はいるけれど、付き合いがない。友人…そうだな、(みな年齢的に似てるから)先に旅立ちそうな人が、生き残ってる人に知らせることになるだろう。。。
あとは、やっぱり、家族かな。
「人の縁というのは、得ようとして得られるものではなく、偶然にも与えられた出会いなのだから、大切にすべき」という考えも、もちろん、わかる。
ただ、それは個人の事情によるだろう。
時間的余裕がなく、会ったり話したりしない、今後もその予定の交際に、自分の時間を費やす余裕がないのなら…特に近況も…お互いに、そこまで深入りしないだろうし…。
なので、さっぱりすることにした、というわけです。
寂しいかな…
皆んなやってることをしないって、非常識だよね…
とか、色々と考えはしたけれど、
いざ、やってみたら、あっという間に慣れてしまった。。。中には、「ワタシもやめるわ、来年から」と、賀状にメルアドがのっていた。
10月から、郵便料金も値上がりするそうだ。
一気に20円以上も値上がり…
封書は100円を超える…ハガキが確か、84円?だったような…。
夫さんは、仕事絡みでなかなかそうもいかないから、何百枚という年賀ハガキの金額は、随分と上がるはずだ。。。
その代わり…といってはなんだけど、
お誕生日とか、なにかのお祝いとか…もちろん不幸にも、手紙をだしたり、カードを送ったり…あえてアナログを楽しんでいる。
普段のラインより、非日常感があって、それに、便箋やカードを選ぶ楽しさもあって、気に入っている。文房具が好きで、お店に行っただけでテンションが上がるワタシとしては、むしろ、その方が合っていると気がついた。
最近、種類も増えて、可愛いシールや筆記具が山のようにある…もう、いくらでも欲しくなる、笑。
思いついた時に、手書きの手紙を書く…
メールではなく、手書きには文字だけでないナニカが染み込むようで、なんとなく、書いた後、スッキリしたり、温かい気持ちになったりする。
なんでも捨てたり、やめたりすることが終活でもないし、シンプルライフでもないし…無くしたり、やめたりしたことで空いた時間や、空間や、労力を、本当に自分が楽しく、続けられる何かにあてることも、楽しいと思う。
そんなわけで、賀状代と印刷代が浮いたので、美味しいお正月料理でも、デリバリーしようと思う。
(作らない…というもころが、ワタシなんだな…😮💨料理、あまり、好きじゃない…)
ハスの花が咲いたよ。🪷
もうすぐ…夏だね。