気が付けばあと10日もしないうちに1月も終わりそう
凄まじい速さで過ぎていきますが。。
ふと父母の結婚記念日だったことを思い出しました
あ!そろそろじゃないかと。
母は毎年恒例、挙式をしたホテルにコーヒーを飲みに行くのです。
飲みながら母は毎年何を思うのかなぁ〜と、そのホテルを横目に通過。
お母さん、そういえば私のことを27歳で産んだんだよな〜。
今思うと、兄もいるし。。
若くないかい?と思い始めたら。。
気がついてはいけない。。
びっくりすることに気がついてしまいました。
父が亡くなった時、母は今の私と同じ40歳
え?そうなの?嘘と言ってくれーー!!
私は13歳だったよね。
え?13歳よね。
え?え?え???
と何度も計算しましたが。。
母はたしかに40歳。
高校生の兄と中学生の私と40歳の母と。。。
え?
祖父と父が築き上げた会社で経理をしていた母。
同居はしていないけど、ほぼほぼ祖母に育てられた私達兄弟は。。
急に父が亡くなり、私生活もガラッと変わりました。
いつもはいるはずの父が居なくなっただけでわけがわからない、日常的なことが起きているのに。。
父の口座は凍結されるし、生活の支払も一時期滞りました。
お葬式のお金も一部支払えず。
不安な中、お墓は新しく建てないといけなくなるわ、お仏壇も買わないといけなくなり、祖父母の家の一部を少し改装したのでした。
とにかくものすごく金銭面で追い詰められた記憶が鮮明に残っている。
子どもの私でさえも怖かったのに。。
母はもっともっといろんなことが不安でしたよね。。
そんな苦しく辛い時、周りの人の対応や言葉だったり、何十年経過しても今でも鮮明におぼえているものです←根に持ってませんよ
忘れられないですよね、普通に。
困ってるとき不安なときに親身になってそばに居てくれた人は今でも一緒に居ますから
その頃から達観出来るようになったのかなと思っています。←自分のことをもちあげてるみたいですね
いやいや、本当にここにはかけないくらいの勢いでこの27年間、びっくり仰天、様々なことがありましたよね、お母さん
生前、父からもらったものはたくさんありますが、居なくなってからもたくさんあります。
良いことも悪いことも全て。
全部ひっくるめて、私には必要不可欠な出来事だったなと思っています。
その出来事と、乳がんの経験があったからこそ、今の譲らない頑固な性格したたかな私が出来上がったんだと思います←自分で言いました
いやいや、話がそれてます。
母って本当にすごい。
母の地元もかなりの遠さで。。
なかなか頼れなかったと思います。
兄弟揃って。。
私は大学には2回も行き、兄は二度も学生を経験しています
やりたいことには文句1つ言わず(言ってたな)、言いながらも。。
必ず挑戦させてくれた母には。。
「感謝」という言葉がしっくり来ませんが。。
やると決めたらすぐの兄妹。
とにかく心労、苦労をかけたなぁと思っています。
(経験してないから語りきれないですが)母の人生は凄まじい人生だなと、覚えてる限りだけでも言葉が見つかりません。
そんな母は。。きっと皆さんが思ってる想像通りの人です
強くならないとここまで来られてないですよね。
いやーーー、私には無理だ。
母みたいには出来ない。
父は40代半ばで亡くなってしまいましたが、やっぱり早すぎるなぁと思うのです。
私は旦那さんより早く逝ってしまうだろうなと最近は思っています。
なんとなくはわかる。
一人ぼっちで過ごしている老後より、空から見守ってる方が想像がつくんですな。。
残された日々が後どのくらいあるのか、1日かもしれないし、もっと短いのかもしれない。
もしかしたらあと20年は生きられるかもしれないし、更に想像を超えて40年くらいは生きてるかもしれない。
自分がいつ死ぬのかは誰にもわからないけれど、やっぱり毎日1日、1時間を無駄に過ごすことはできないなぁと思うのでした。
残された人生、1分たりとも無駄にできる時間はないなぁと思います。
誰と過ごすのかどんな時間を送りたいのか、やっぱり考えてしまう。
死ぬ時は
あぁ、楽しかったなぁ。
やりきったなぁぁあ。
って思いながら目を閉じれたらいいなぁって思っています
おかあたんの靴これみたいだよね。と次女がタブレットに何故か?出てきた写真を見てせくれました。
(探すの大変でした)
桁が1つ多い上に更にそこから更に千円引いてくれと話したら長女がえ?100円?と。おい1年生やい。
どんな会話?
を繰り返している女四人です。
いつも元気な娘たち。
何気ない会話ですが、元気に走り回ってくれて本当にありがたい、尊いなぁと思います。
大事に大事に、今日も過ごしたいと思います。