お部屋の中も綺麗になりニコニコ
ある程度が片づきました。

土日はなるだけ子どもたちを外で遊ばせたい私達。
よく電動自転車で遠くまででかけていました。

当時三女を妊娠中だったため、体調のこともあり、遠出ができずにいました。

部屋でゆっくりしているときに次女が私や旦那さんの携帯をあちこちさわり、何がどうなったのか旦那さん宛のメールが何故か私の携帯に転送?送られてきてしまいました。

それがきっかけで我が家では大騒動にチーン

カード会社からお金を借りている履歴。
何度も何度もメールを読み返しました。
いつのこと?
先月?!
なんで?

傷病手当が夫婦ともに出ている。
たしかに額は通常より少なくはなるけれど、それでもカード会社から借りるなんてと。。

お父ちゃん。
何でカード会社からお金借りてるの?
なんで?プンプンこんな大変な時に何で!!
もう勘弁してよ!!
怒った私の顔を見ておとうちゃんはハッとしたような顔をしていました。

明日返してきて。
明日必ず返金してきて。
ついていくから絶対一括で元金と利息共に返してきて!!

と私には珍しいくらいに怒りをあらわにしました。

金銭の管理もできないようになってしまったのかと。。やっぱり通常じゃない。
元気になってきたとはいえ、今まではやらないことをする。
もう、余計な心配はさせないで、お願い。
夫婦でお話をしてしっかり返金をしてもらいました。

働いていないから生活費が足りなくなると思ったお父ちゃん。
補填しようとしたとのことでした。
今まで頑張ってきた分があるじゃないか。
それで補えるんだよ。と、たくさんお話しをしました。

私の兄は作業療法士で日々たくさんの患者さんと接しています。
お父ちゃんのことを話して実家に戻らせてくれとお話した際、こう言っていました。

そうか。とても大変だなぁ。おかあさんから聞いたよ。今も心療内科には通ってるんだよね?病名がついてるとは思うのだけど。元気になってきた、良かったってみんな少し時間が経ったら安心するんだけど、結構金銭トラブルがおこるよ。カードは管理させてはいけないよ。自分のことに精一杯になるからね。急に何でかお金が心配になる人が多いみたいだから。本人がしたことだからなかったことにしてくださいって金融会社にも相談してる家族がたくさんいるんだよ。たくさん見てきたから。とにかく気をつけないとね。

そんな話をしていました。
正直片耳で聞いてスルーしていた私。
その他にやるべきことが山ほどあったので、そうなんだ。くらいにしか聞いていませんでした。

ハッと思い出しても遅い。
幸い多額ではなかったので、直ぐに解決しました。
娘があのとき携帯を触らなければと思うと。。
すぐに分かってよかったなととても安堵した記憶があります悲しい

いつもは働いていたのに自分が働けなくなり、私まで会社を休むとなると。。
とても心配になったようでした。

傷病手当で繋いでいた日々。
今月は入金されたよと通帳を見せ、今月はこれだけ引き落とされるよと密に会話をしていたので伝わってると思っていた私。

日々のことに追われ、子どもたちや自分の体調管理、引越しの手続きに諸々の手続きでバタバタしてしまい。。
お父ちゃんの気持ちや病気のことをしっかり把握できてなかった、気にかけられなかったなと思います。

思うように動けない身重の私に代わり、次から次へと荷物を箱に詰めていく旦那さん。
とにかくお互いが気力だけで動いていたのかなと。
今思い出してみると、そうだったのかもしれません。

お父ちゃんが布団から動けなくなった日から4ヶ月が経過していました。

後数分で引越し業者さんが来るというときまで!
ギリギリまで荷造りをしてようやく作業を終えましたチーン

昼過ぎから始まった引っ越し作業。
なんと無事におわったのは夜の7時くらいでした。

娘たち、最後の保育園へのお迎え。
お父ちゃんを自宅に残し、ゆっくり歩いて最後の東京での送迎。

まだ今でもその日の天気や匂い、空の色を私は覚えています。
毎日通い詰めた商店街を通り、いつものお友達とすれ違い、声をかけてゆっくり保育園へ向かいます。

姉二人の保育園は別々の保育園でした。
次女の保育園で先生たちにお礼を伝えましたニコニコ

体調面が苦しいとき、事情がわかっていたのに無理なことを言ってしまったこと、融通が利かなくて申し訳なかったこと、園長先生から再度頭を下げられてしまいました。

たった1年しか通えなかったけれど、一歳児クラスにいた娘の思い出アルバムを作成してくださっていました。
次女の保育園はとても若いお母さんが多くて、そこにはママ友は1人もいませんでしたが、少し前に連絡先を交換したばかりのお母さんがお手紙とプレゼントを用意してくださっていました。

それがきっかけで、今でもお互い自宅に食べ物やアクセサリーなどを送る仲になりましたニコニコ

長女の保育園には4年半通いました。
とても人気の園で周りから羨ましがられるほど。
園庭ではヤギや鶏を飼育したり、散歩に連れ出したりと都心では信じられないほどの光景だったそう。

一人ひとりと向き合ってくださり、先生方にはとてもお世話になりました。
引っ越しをするとの話を聞き、最後に発表会だけは一緒に出させたいとお話してくださり、飛行機の日程をずらしました。

今までお世話になった先生方が1冊にアルバムをまとめてくださり、たくさんの先生方が見送ってくださりましたえーん

とても温かな園で、困ったときはお話してくださいと声をかけてくださり、時には次女を預かってくださったりと、とても助かりました。

娘が通っていた塾の先生方にもたくさんお世話になり、今でも連絡を取り合うほどです。

娘の特性を伸ばそうと根気強く学ぶことの楽しさを数年間寄り添い続けてくださりましたえーん

離れていても気にしてくださることがとても嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。

もし。
もし、また都内に戻ることがあれば同じ場所に住みたいなぁと思うほどニコニコ

約14年間の思い出が詰まった場所にはたくさんの思い出、沢山の大事な方々がいます。

いつも仲良くしてくれたママ友たち。
児童館の先生方にもたくさん挨拶をしました。

帰り道は途中からタクシーです。
泊まる予定のホテルまでタクシーで向かうことになりました。

一方、自宅に残されたお父ちゃんは。。
引越し業者とのやり取りを終え、最後の社宅のチェックやゴミ出し、鍵を後輩に預けていたところでしたニコニコ

ちょうどタクシーに乗れるとのことで、社宅により、お父ちゃんを乗せホテルに向かいました。

娘たちは引っ越しをする、もうこの家には戻ってこないということを理解しているのかしていないのか。

旅行気分でとてもテンションがあがっていました。
引っ越し先の沖縄にはないサイ○リヤでご飯を食べニコニコホテルに向かいます。

本当は隅から隅までお世話になった方々に1人ずつご挨拶をしたかったのですが、体調がとても悪く安静と言われていたこともあり、なかなか思うように動けませんでした。

その日は沢山の方々に連絡をもらいます。

私はお世話になってるばかりで、何も力になれない日々だったのに。
こんなにも支えられていたのかと思うと、感謝の気持ちがいっぱいで離れるのが寂しくなります。

翌日はホテルの外で朝早くから友人が待っていてくれました。
仕事前の早朝。
電車で行けるギリギリのところまで荷物を持ってくれたりと、ついてきてくれましたえーん

あのときの友人との会話や表情もしっかり覚えています。

私達は、大好きだった東京を離れました。

海を超えて。
その先はきっと、どうにかなる、もう大丈夫だよと沢山の複雑な思いと希望を載せた飛行機は沖縄へと動き出しました。