娘がお父さんに怒られました。
妹たちに触らせないでよと約束した新しいおもちゃ。
それを妹に懇願されて触らせた途端、力加減がわからず一瞬で破裂してしまい布団を汚してしまいました
いつもはごめんなさいで終わるけど、それが今回は違った。
これまでの2年間を遡り、娘が心の中を号泣しながら話してくれました
お父さんはお母さんのこと殺したりしない?
お母さんとお父さんは仲良しなの?
みんなのお母さんとお父さんもこんなに仲悪いの?
私は怒られるの嫌いなの、お父さんの怒鳴る声がとても怖いよぉおおお母さん行かないで
途端に胸がギュッと締め付けられ、私は一瞬たくさん涙が出そうになり、飲み込みました。
お母さんは毎日お父さんに怒られて苦しいよね?
お母さんは悪い事してないのにどうしてあんなに怒るの?苦しいよね?なんでこんなことで怒鳴られてびっくりしないといけないの?!
娘は私の心を代弁するかのように大号泣して私にたくさん問いかけてきました。
お母さん、ずっとそばにいてくれるよね?
いきなりいなくなったりしないよね?
6歳に。
6歳にここまで言わせてしまった自分が。。
ものすごく情けなくて言葉にならない苦しみが、あっという間に心の中を埋め尽くしてしまいました。
私が苦しかった理由はこれだったんだな
娘は私が気がついていないところで、たくさん教えてくれました。
私はこれが嫌だったんだ。
ものすごく苦しく生きづらく感じていたのはこれだったんだなと思うと涙がボロボロ止りませんでした。
ごめんね、みんなごめんね、嫌な思いさせていたよね、ごめんね。大丈夫だよ、心配ないよ、大丈夫。何も心配することなんてないよ。
辛かったね、辛かったよね。
守ってあげられなくてごめんね。
子供たちをたくさんなだめて抱きしめ、たくさんの言葉をかけ、落ち着いた頃に寝室でタブレットでも見てゆっくりしてて、お父さんとお話してくるからねと寝室へ子どもたちを誘導しました
子供たちをたくさん抱きしめたからなのか、ホッとしてくれたのかやっとみんなタブレットを見はじめました。
リビングにいたお父ちゃんとお話をすることにしました。
私は言いたいことを我慢するタイプです。
いつも極限まで我慢して、急にブチッとなるので、周りをびっくりさせてしまいます。。
一度何かが弾けると不満を全部ぶちまける、止まらない。
私とは反対で、お父ちゃんはその場で沢山不満を言えるタイプ。
それで今までバランスが取たのかもかもしれない。
娘たちはお父さんが怒鳴る大きい声が大嫌い。
私を罵倒してるところを見るのがとても苦しかったそう
毎日毎時間、普通に話しかけても怒鳴り散らされる毎日。
話ができない。
話にならない。
やってほしいことも全くやってもらえず、やるべき日常的な事務的なことが滞るのです
やってもらわなきゃ他の人にも迷惑がかかるなぁ。今回もマンションの管理会社の人たちとのやり取りを始め、すべて私が間に入ってしまうので糸電話みたいになり、相手も困ってしまっていたのでお父ちゃんから電話をかけてくれないかとずっとお願いしていました。
電話をかけていない様子。
手続きもしていない様子だったので、色々と限界かなと一先ず話してみることにしました。
言葉にして伝えれば伝えるほど悩ましい表情になるお父さん。
6歳の娘の言葉にどう思ったのかはわかりません。
せっかく命拾いしたこの残された人生。
お父ちゃんと一緒にこれから生きていく、決して軽い気持ちで決めたわけではない。
両親より、子供より、誰よりも一番長くともにするパートナー。
一緒にいて楽しそう、お父ちゃんとなら頑張れそう。
そう思い、一緒になりました。
お父ちゃんが急に布団から動けなくなった日。
あの日からガラッとなにか歯車を立てて崩れ始めました。
私が病気の時は、お父ちゃんがたくさん守ってくれました。
あの時こんな気持だったのかな、とても大変だっただろうなと想像しながら、この2年間は必死に家族みんなを守ろうと思い走り続けてきました。
人生って楽しくないといけない。
そう思いながらこの2年間、これでもかこれでもかと寄り添いながら過ごしてきました。
お父ちゃんを守ろうとすればするほど、実母や実兄とは疎遠になりそうになり、今でもいい関係は築けていないと私は思っています。
みんな仲良しでいてほしいけれど、やはり同居で、わだかまりをたくさん作ってしまった。
間に挟まると生きた心地がしない、私のせいでみんなを傷つけているという間隔がどうしても離れない。
みんなに嫌な思いをさせてしまったなと、どうすることも出来ずにいました。
やっと別世帯に出来たと思ったら、そこからまだ状況が変わらない。
お父ちゃんと実母や実兄、たった半年の同居でみんなを仲悪くさせてしまったことは私の中で人生最大の負債を抱えてしまったと思っています。
それもこれも、東京からここに引き上げてきたことが原因。
お父ちゃんは、自分の実家にも引き上げたくない、かといって東京にも残れない、ここに来るのも嫌だった。
じゃあ一体どうすれば良いのかわからなかったこの2年間。
私の好きでここに引き上げたわけではないのに。
誰が決めたわけでもない、ただただその都度その都度の目の前の大仕事をこなすため、踏ん張ってきたのに、どうしてどんどん苦しくなっていくのか不思議で不思議で。
毎日生きていくのがとても辛い。
それだけは私の中ではずっと変わらない。
生きた心地がしない。
それでも子供達を見ていると、とても幸せを感じて、この子達のために頑張らねば!!と常にそれだけで突っ走ってこられました。
1年前、お父ちゃんがやりたかった夢だったフランチャイズを反対しました。
自分の気持ちもコントロールが出来ない、子どもたちと接するのもやっとな状況でとても厳しいと判断した私は大反対しました。
それが原因でお父ちゃんは、好きなこともさせてもらえないんだ。
そう思い、1年間、私のせいで夢を絶たれてしまいとても嫌だったと、この前打ち明けてくれました。
今でもとても根に持っていると。
きっとお父ちゃん自身、元気なとき、なんでもないときだったなら、たくさん応援出来ていたと思います。反対もしなかったと思います。
その時、やらせてあげていたら今なにか変わっていたのかな、最近は何度も何度も考えてしまいます。
毎日毎日、ここの文化への不満、ここで生まれ育った人たちへの不満、私に対する不満、子供達への怒り方。
子どもたちへの怒り方に関してはどうしてもスルーできずに毎回
「こんなに怒ることかな?言い方を考えて。まだまだ小さい子供だよ!」と注意をしていました。
その他は全部気が付かないふりをしていました。。
それはそうだ、日本とは全く違う文化。
そればかりは合う合わないは確実にあるし。
でも、毎日毎日人格否定までされ続けると、こてんぱんに心はずっと傷ついてしまっています。
お父ちゃんももの凄く辛いと思うけれど、私も、ずーっとずっと、ものすごく辛いよ。
子どもたちはそれ以上に辛かったなと思います。
私が我慢しすぎたなとも思います。
今、お話した通り、私はこんな状況だよ、こんな事思ってるよ、子どもたちもこんなこと言っているよと胸の中を全部全部ドバッとさらけ出してみました。
今まで思っていたこと、昨年の今頃も伝えたこととは同じだけれど、同じことを伝わるまで何度も。
しつこいくらい向き合っていくからね!と。
こちらは引かないからねと。
きっとお父ちゃんにも沢山の言い分がある。
それもたくさん自分でもわかっている。
お父ちゃんは最初は黙ってずっと聞いていましたが、
もう会社もやめて何もしたくない、もう辞めさせてくれ。身体がだるいしなぁ。もう最近はメンタルがなんだかやばいんだよなぁ。
とだけ。
それだけ最初は話してくれました。
誰だって。
誰だってやりたいこともある、でも生活しないといけない。
でも意地でも働けとは言っていない。
疲れたら休むのは基本中の基本。
もう勘弁してくれと。
でも、休むならば休むなりにきちんとするべき手当てをもらいながら休んで欲しい。
守らないといけない家族がいるから。
そこまで考えきれない状態ならば、また今後の動きも違う。
私とお父ちゃんは同じ人間ではないから、価値観も当たり前だけど違う。
つまらない人生で終えたくない、このまま会社に努めて何もしないで死にたくない。
その気持ちもものすごくわかる。
とても応援したい気持ちでいっぱい。
お父ちゃんの好きにさせたくないわけでは決してない。
でもね、これだけは言わせて。
目の前のいちばん大事な家族のことをまず大切にできないと。
思いやりを持たないと。
寄り添う気持ちをもたないと。
もう崩壊寸前だよ。
娘が言った言葉が全てだよとお互い言いたいことたくさん話しました。
私だって人間。
ずっと辛いことが続いているのに、得意の笑顔でいることが難しくなってきている。
そのことに娘たちが気がつくのも当たり前。
子どもが大きくなってきてる。
最後にはみんなごめん。子どもたちもごめん、お母ちゃんもごめんね。
そう話していましたが、これからいきなり穏やかに生きていけるのかな?
なにか根本の問題があるのなら私はそこから解決したほうがいいのではないか?と打診しました。
ここに住むのがどうしても嫌ならば、娘がとても楽しいと言ってはいるものの。。
住む場所をしっかり整えたほうが良いのでは?
ここにいることでこんなに苦しい日々を送るのならば、私は普通の幸せ、生活を送りたいからここを離れてとにかく、この苦しみから開放して欲しい。
きっと私のメンタルと子どもたちのメンタルは繋がってるから。
私が苦しければ子どもたちも苦しくなる。
どこに住んでても、思いやりや寄り添う気持ち、家族を1番に思う気持ちがないと、世界中どこに行って何をしていたって同じだよ。
こんな事を繰り返していても、子どもたちが振り回されるだけで1番犠牲になる。
その話を聞いたお父ちゃん。
子どもがみんな楽しんでるのはものすごくよくわかってる、だからそれだけは絶対にしたくない。
俺が単身赴任で何処かに早く転勤になればいいのになぁと思ってる。。それが1番だと思う。
そんな事を話していました。
家族バラバラになるのがいい選択肢とは私は全く思っていない。
一緒に期間限定の子育てを楽しみたいし、一緒に苦楽をともにしたいだけなんだよとお話しました。
でもね、お父ちゃんがそれが今の1番のいい方法、そうしたいのなばそれもそれでそういう期間があっても良いのかなと思えるようになってきました。
今自分は何が苦しいのか、何が嫌なのかをしっかりと見極めて、ではどうすれば自分にとって、家族にとってベストなのか、良いのかを話し合って考えないといけないよね。
ものすごい勢いで言いたいことをドバッと伝えると色々考えているようでした
すこしずつでもいいので言葉にして伝え続けること、なるだけ同じ歩幅で歩んでいけると良いなぁと思っています。
話し合いの途中でリビングに心配して見に来た娘
お父さんの様子や私の様子を見に来たのです
たくさん泣いて言いたいことを言って、私やお父ちゃんの様子を見てホッとした娘
抱きついてきました。
その後お風呂場で、
お母さんとお父さんは仲良くなれそう?
本当に大丈夫なの?お母さんは無理してないの?
最近たくさん泣いていたからとても心配になってるよ
と言うので、
大丈夫だよ、心配するなよ!涙なんて流してしまえばもうおわり、次!!
でもね、本当に心配かけてごめんね。
お父さんもお母さんも子どもたちのこと、宝物だと思ってるんだよ。
ごめんね、本当にごめん。
お母さんもお父さんも人間だからさ、完璧でなくてさ。
でもとても心配したよね、辛い思いさせてしまったね、ごめんね。
そう伝えると
ねぇ、お母さん
大丈夫だから心配するなって←私の言葉。切り替えも早い娘です、私に似てます(笑)
お母さんとお父さんが笑っていれば、私たちは元気でいられるから、それだけでいいんだよ
そう話してくれました。
言葉をかけてくれればかけてくれるほど心をえぐられるような感覚。
長女はたくさん見ているし、優しいし人一倍、人の気持ちに気がつくのが多い。
ここ最近笑っているお母さんが好きと言って、SOSを送っていたのに。
ものすごくダメージを受けた娘の言葉。
次女も成長し、嫌なことたくさん言ってくれました。
子供たちにこんなことを言わせてしまったこと、夫婦共々一生忘れないと思います。
娘たちはお父さんがとても大好きです。
「怒るときや、私に怒鳴ってるところを見ること、見せることだけがものすごく子どもたちも私も嫌」だと伝えることが出来ました
これからもいい関係を築くために家族みんな奮闘し続けると思います。
言いたいことをたくさん言える関係で有り続けられるといいなと思います。
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