祖母がよく言っていた言葉。
や〜なれ〜るふかなれ〜
家でやってること(習慣や教え)は外に出たら必ず鑑になる。外でも家で同じことをするよという意味です。
三つ子の魂百までとよーく祖母が話していました。私は母に育てられた記憶より、祖父母と一緒にいた記憶のほうがとても多いのですが。。
しつけに関しては物凄く厳しかったです。
米は一粒残さず、文句は言わずに食べること。
何か少しでも『はー、野菜かぁ、食べたくないなぁ。』なんていうと、無言でご飯を下げられた
最初で最後、ものすごく反省しました。
ことあるごとに戦争のお話をしてくれた祖母。
おばあちゃんが若いときは、食べるものもなにもなかったよー。履くものもないよ、水だってとても貴重。とにかくみんな貧乏だったよ。今はたくさん食べものがあるからなの?
どうして、こんなこと言うの?
ご飯が食べられることはとても幸せなことなんだよ。
感謝をしていただきますをしてほしい。
未だにその時の記憶は残っています。
保育園に通っていた私にとって、戦争のお話は毎回非日常的でものすごく衝撃でした。
私くらいの小さな子が親と離れて人が死んでいく中走り回って逃げてると聞いて。
私くらいの小さな子が背中に妹と弟をおんぶして走って逃げると聞き。。
食べ物もなくて、震えが止まらない子供もたくさんいたんだよー。
死んでる人で足の踏み場がないくらいだったよと。
そんなふうにして生き延びてきた人たちは、ものすごく優しくて強く、そしてよく笑う。
瞬きをする間もなくジーッと真剣な顔をして聞いていた私に
ばあちゃんの作るご飯は栄養がたくさんあるんだよ。
ヘチマの味噌煮は食べると食物繊維がたくさん入ってるから美人になる。
豆腐チャンプルーはタンパク質もビタミンもたくさん入ってるよ〜。
魚の味噌汁も、冬瓜の煮付けも全部体にいいよぉ。
幸せよ、こんなにたくさん。
今考えると、小さい子にとっては苦手なものばかりかもしれないけれど、おばあちゃんのおかげで
ナーベラーンブシー(ヘチマの味噌煮)
クーブイリチー(昆布の炒めもの)
パパイヤしりしりー(青パパイヤの炒めもの)
は幼少期から今もものすごく大好物。
おばあちゃんとの時間は私にとって全てが初めての経験だらけで、とても楽しかった記憶しかありません。
あ、よく喧嘩もしました
そんなおばあちゃんがものすごく大事にしていたことが2つ。
出版した本に書いたり消したりして、結局記録はしておりませんが
親がやったことは悪いことも良いことも全て子供や孫に跳ね返ってくるという言葉でした。
だから、自分は真っ当に真摯に生きたい。
必ず悪いことをすると、どこかで誰かが必ず見てるよ、そして自分に跳ね返ってくる、じゃなければ子供にも孫にも跳ね返ってくる。
悪いことは絶対にできない。
とよく言っていました。
後に父の姿を見て、なるほどなぁと思います。
父のような人に今の今まで、全く出逢ったことがないくらい。
そのくらい父は誰に対しても愛情深く、優しくて強い人でした。
困っている人を見ると助ける、ほっとけない。
人の喜ぶ顔が好き、汝の敵をも愛すほどに、父は周りの人たちをたくさん抱きしめてくれました。
きっとおばあちゃんの教えなのでしょうね。
もしかしたらおばあちゃん以上にそうだったのかなと思います。
仏壇を眺めながら思いました。
同じ時間がすぎるならなくより笑っていたほうが断然いいよ
私の体の中で、祖母の言葉はどれもこれもものすごくたくさん生きています。
言葉として経験として残り、それによって今の私が育成された感が最近ものすごくあります。
祖母に育ててもらったことも、父と母の子として生まれたことも、ものすごく誇りで感謝しかない
子どもたちにもそう思ってもらえるように私も胸を張りしっかり生きていこうと思います。