一昨年の夏。


我が家にとって忘れもしない大変なことが起こりました。

あんなに明るかった旦夫がコロナワクチンを打ったあとに急に起き上がれなくなりました。


夫が布団から起き上がれないのは副作用ではない。そう思ったのは会社を休んで二日目辺りから。


「お仕事を休みます」と連絡するまでがしんどそう。

夫婦で同じ会社だったこともあり、それだけは本当に不幸中の幸いでした。


時には「休む」との連絡もできない日もあり、かと思えば、休めることがわかるとものすごく安堵し元気になる様子もみられ。。


たった1週もしないうちに表情が変わり果て、今にも自死しそうな夫を一人部屋においておけない程になりました。


当時私は第三子を妊娠中

どうしたもんかと考えるより先に、猛スピードで悪化していく夫の様子にとても不安になり、両親に相談しました。


コロナ真っ只中、田舎に帰るのも気が引け、かと言って都内に来てもらうのも気が引ける。


義父母に相談し、実家で夫に1度ゆっくりしてもらうことにしました。


「会社には1ヶ月休ませてほしいとお話をしたからね。ゆっくりしてきて!ニコニコ


その旨を夫に伝えると、ものすごくホッとした顔をしていたこと、今でも覚えています。


娘たち二人、お父さんの様子がおかしい、いつもは一緒に朝は家を出てお仕事に行くのに、どうして毎日家にいるのかと、とても不安にさせてしまいました。


同時に1ヶ月後は有給も使い果たし、いよいよ無休になるというとき…


やっとで病院に連れていくことに成功し、ようやくプロの手を介入させることができたのです。


今考えても、よく説得したなと思っています。

そして夫も勇気を振り絞ってよく家から出られたなと思っています。


夫が適応障害抑鬱症状が見られるとのこと、診断名がつき、職場に報告し、諸々の書類を提出することができました。


そこから安心したのか…

一瞬で私の体調が悪くなりました。

切迫妊娠糖尿病を併発。

しかも低血糖なのです。


そんなことあるのかと。。

低血糖の糖尿病。。

もう体調が悪いにもほどがあるくらい。

寝ても覚めても気持ちが悪い、元々つわりも酷いので、更に輪をかけて血糖値がズタボロになりました。


とにかくご飯が喉を通らない。

食欲が全くない。

そのせいで血糖値もかなり不安定になります。


何もかもが不安定すぎて精神的にとても気が張り詰めていました。


そして翌週には妊娠高血圧症候群にも…

もう好きにしてくれ状態。


入院できないですか?との返事に家庭内の状況を話しました。

親子で入院できるお部屋も空いてない。

コロナでそんな部屋がある訳がないですよね。


ものすごく危険ですとの話から、入院できないという状況となり、会社を休むことになり、とにかく子どもたちを保育園に送迎するのに必死でした。


もうめちゃくちゃでした。


 義理の実家に帰る予定で進めていましたが、病院の先生が紹介状を書けないと言いました。


10分でつく大きな病院がないと駄目だ。

ずんたろーさんは毎回スピード出産。

義理の実家に帰ると救急車の中で産まれるか、車の中で生まれるか危険な状態になります。

どうして実家に帰らないの?

もうこんなに頑張ったじゃないの。

出産くらい実家で安心して産みなさい。

お父さんは大人だからね、どうにでもなる。

今はあなたの体と赤ちゃんのことだけが優先。

あなたの実家は好立地なのよ、そこなら紹介状はかけるよー


そんなことを言われました。

ひとまず私の実家に引き上げることに。

それからの夫婦退職の書類を作り、家族の転出や転園の申し込み、仕事が休みなのに毎日とても忙しくて体調も悪かった覚えがあります。


とにかく子どもたちを守るために必死でした。

詳しくは本「生きる」を読んでくださると嬉しいです。


これは私の目線。

私から見た家族の様子です。


夫にも夫の目線があるはず。

私からの意見ということで読んでくださるといいのかなと思います。


結果、私の実家に引っ越しをして今、家族みんな必死で日常を取り戻すべくがむしゃらに動き始めています。


引っ越しをしてから私は翌日から入院。

退院したと思ったらまた入院。

夫もあの状態で右も左も分からず、精神的な病気にもなり、二人の娘のワンオペはめのすごく苦しかったと思います。


家族みんながものすごく苦しい時期でした。

こんなことを言うのはなんですが。。


乳がんを患ったときより、お父さんが亡くなったときより。。38年間生きてきた中で断トツで1番苦しかったと思います。



守るべきものがたくさんありすぎて優先順位がまるでつけられない。

両手からこぼれ落ちては拾い集める日々で、自分ひとりではとうのとっくに抱えきれなくなっていたのです。


そんなときに出会った保健師さん。

ものすごくメンタル面で助けてもらいました。

切迫で入院していた頃、カウンセラーやソーシャルワーカー本当にいろんな人たちがいるんだなと知りました。


その中でも、保健師さんは何度も何度も電話をくれ、自宅訪問もしてくださり、一度一人の時間を作らないですか?と国に助成金を申請してくださりました。


それで少し安くで助産院でゆっくり過ごすこともできました。


その時お世話になった保健師の方からの電話があり、タイミングよく出ることができましたえーん


半年前にも電話を下さりましたが、そのときは就職が決まり、パタパタしていました。


年が明けてまた再度電話をもらいましたがまた、パタついていました。


今の状況はきっと想像できなかったのでしょう。

とても嬉しそうにお話を聞いてくださり、ものすごく気になっていたとのことで親身に事細かく聞いてくれました。


今日はものすごくハッピーな一日が過ごせそうですえーん

ここまで家族みんなよく頑張りましたねえーん

とてもホッとしました。

末娘ちゃんもそろそろ1歳ですよね。

ものすごく頑張りましたね〜。


そんな優しい言葉をかけられて思い出しては泣いてしまい、仕事中だった私は席に戻れなくなりそうになりました悲しい


少しでも優しい言葉をかけられるとだめですね。


夫はあれから仕事をし始め、苦手な土地で頑張って日常を過ごしています。

言葉も文化も全く違う、そんな地でイライラしながらも、頑張っています。


夫がまた会社にいけなくなるかもしれない、また同じことが起きるかもしれない。

毎日そう思いながら夫の様子を観察しています。


以前にもまして、夫はものすごくイライラしやすくなったなぁと思います。


適応障害は完治はないと思っています。

誰にでもなる病だと思うから。


外傷のほうがいい、目で見て治るのがわかるから。

内面の病だと治ったのかは全くわからない。


うまく付き合っていくしかないのかなぁと。

またそうならないように何処かで息を抜くことを習慣化することができたらいいのだけどなぁと思っています。


まだまだ気は抜けない日々ですが、ずっとつらいことがつづくわけはない指差し

昨日より今日、今日より明日。

必ず良くなる!

そう信じて突き進むしかないですね。