若年性乳がんを患い8年目。
なんといったらいいのか、どこから説明したらいいのかわかりませんが待ちに待った赤ちゃんを授かることができました。
※詳しくはズンタローの本を買ってくださると嬉しいです
発見が遅く、腫瘍がゴルフボールくらいありました。
絶体絶命からの生存は奇跡だなと、今でも思っています。
更には結婚も、出産も。
ものすごい確率です。
生まれてきたこと、生きてることもすごいのに、出会えたことも。。
再発もなくあの腫瘍の大きさから転移もなく。。
とにかく奇跡の連続の上で私達は今を生きてるのだと思います。
本当にあれは何だったんだと思うほどの回復で、ここまで来られたことに毎日感謝しても足りないくらいだなと、そう思っています。
長女が産まれて直ぐに授乳指導がありました
私は全摘ではなく、抗がん剤で腫瘍をかなり小さくしてからの部分摘出だったので両方の乳房があります。
助産師さんや看護師の皆さんは、どうしたら授乳がうまくいくのかを一生懸命教えてくれました
でもどうしても手術している方のおっぱいが出ない。
開通させたくてもなかなか出ない
死にものぐるいで出産から数日で出たのは、手術をしていない方のおっぱいてした。
あっという間に退院となり、家で一人で出せるか不安でしたが、すぐに授乳外来なるものを予約し、意地でも出そうとしていました。
でもなんとなく嫌な気分。
一度悪性腫瘍があった、癌になった方の胸で授乳をしたくない、そんな気持ちがありました。
なんとなく、本当になんとなく、そう思いながらも授乳の練習をしていました。
やっぱり出ない
久しぶりに主治医に連絡をしました。
手術をした方の胸では授乳できませんか?と。
すると、随分前のことだからと調べてくれて乳腺を取っているから出ないとの連絡を受けたのでした。
その返信が来て、ものすごくホッとしたのを覚えています。
よかったぁ、ここは出さなくてももいいんだね、あげたくなかったし良かったぁあ!って思ったんです。
そこから私の片乳授乳生活が始まりました。
今年で片乳授乳歴6年になります
授乳期は左右のバランスがものすごい。
母乳が出る方は大きくなるので左右アンバランス。
片方の肩からは服が落ちるほどです。
乳腺炎になったときも、手術をした方はパンパンにも張らないし痛くも痒くもありませんでした
授乳初めは片方30ミリが限界。
数ヶ月経過し、ようやく40と増えていきまして、MAX80くらいの量でした。
それでも、今は栄養バランス最強のミルク様があるので心配無用とのお話を聞き、安心したのでした。
「こんな性格で良かった」と今でも思っていますが。。
泣いてるよ、おっぱいが足りないんじゃない?や、おっぱい?ミルク?おっぱいがいいわよーの知らない人の言葉が全く気にならない
人は人、私は私。
嫌われようが何言われようがされようが、昔からスルーできる性格←分かりづらい仕返しはします
仕返しするということは気にしてるではないか!(笑)
違うんだよ。
人は人、私は私。
という言葉はとても深い意味があると思っています。
周りの意見で本来の自分の望んでいる事や物を見失わないようにいつも気をつけています。
ミルクだからといって栄養が足りない、成長しないわけではない、栄養が偏るわけではない、育たないわけではない(うまく言葉が見つからない)
おっぱい育児だからと言って、病気にならないわけでもない←私
何をすべき、何がいいんだ!
なんて、人に押し付けることでもないと思うのです。
それをいうと何も意見が言えなくなってしまうじゃないか〜!と笑ってしまいますが、そんな単純なことではないよ。
みんなそれぞれのストーリーがあるから。
だからこそ、「発言にはしっかりと責任と愛情を持ってね」ということなんだと思うのです。
その人にとって今の形が1番なわけです。
↑面倒くさい女ですね、私は
母乳育児であろうとミルク育児であろうと元気いっぱいに育つと思います!
母乳育児に一生懸命になったっていい、こだわったっていい、ミルク育児でも引け目を感じなくてもいい、混合だってなんだって、それぞれみんな頑張ってるから気にしなくていいんです。
こだわりの全てに愛が詰まってるんだと思います
って何の話になってるんだこれは。
乳がんになっても、母乳が出なくても。
赤ちゃんはしっかり立派に大きくなりましたという話でした。
↑結局これだけが言いたかった
えぇえええええ
今日もまわりくどいブログに付き合ってくださり、ありがとうございました
末娘は卒乳し、フォローアップを飲み始めました。
少し寂しいですが。。
食べることが大好きな末娘
元気いっぱい育ってくれるといいな〜