私の父は40代前半で肝臓がんを患い、この世を去った。

父の命日は父の誕生日でもある。


あと数年すると、私は当時の父と同じ年齢に到達する。


父が息絶える瞬間が私はあまりにも衝撃的で、昨日のことのように覚えている。


年齢が若かったからだろう。

亡くなる瞬間まで体はものすごく元気だった。

だからか、息が止まる瞬間、父は上半身を持ち上げ座る体制になろうとした。

息が止まるたび、ナースコールを押すと胸をポンと叩くだけで息を吹き返すという不思議な光景。

それを2度繰り返し、ものすごくつらそうに暴れるのでもうやめようと。。

そう家族が判断し、この世をあとにした。


父と過ごした日々はたったの14年間。

私にとって14年間はものすごく濃厚で、今でも色々な思い出が心に残っている。


遺伝性乳がんを患ってしまったけれど、父は確かに私の体の中でしっかり生きている。


母は胸にネックレス(中には父の小さな小さな写真が入っている)をいつものようにまとい、今日は昔からある大きな大きなホテルへ夜な夜なでかけていった。


その度に思い出す。

3月8日は父と母の挙式記念日なのだ。


毎年必ず挙式したホテルのラウンジへコーヒーを飲みに行くのが母にとっては大イベントなのだ。


仕事を終えていくので夜の食事やケーキは食べられないけれど、コーヒーを毎年飲みに行くと話していた。


今年の入籍記念日には、旦那さんが提案し、私達家族と母の6人で、そのホテルでランチをした。


早くで父を亡くし、必死に二人の子供を育てながらも、父がいなくなってから父の父母(私の祖父母)の近くにいて、祖父が築き上げた会社もしっかり最後まで片付けをし、母は本当に凄まじい人生を送ってきたのだと思う。


私が母の年齢になると、今とは違い、さらに気持ちがわかるのかもしれないなと思うのでした。


産まれてきてから今の今まで朝から晩まで仕事をし、休むまもなく働きまくりの人生。

お金の不安、病気の不安(難病指定)もあったはずなのに、まだまだ子どもたちは心配ばかりかけています。


顔を見ると喧嘩ばかりたけど、それはそれで元気な証拠ですね。


私が書いた本に母は冒頭だけしか出てこず、その後は全く出てきませんが、父が亡くなったあとは母との思い出もたくさんあります。


母と私は一緒に苦楽を共にし、生き抜いてきた戦友のような存在だと思っています。


アルバイトばかりさせて、セキュリティーもしっかりしてない学生寮に住ませて申し訳ないとずっとはなしていますが、そんなことはありません。


片親とは思えないほどとても贅沢な裕福な暮らしを送らせてもらったなと思います。

ものすごく感謝しています。


これまでの人生、私が好んでやってきたことなので、「いつまでもあると思うな親とお金」という言葉はしっかり実際経験してこれでもかというくらいに学んでこられたと思うし。。


県外に出て本当にたくさんのお友達や経験ができました。

それによってお金では買えないものもたくさんもらいました。


授業料免除もなるだけ取ってきたつもり。

は。。でも大学は2回行ってしまったので結局高くついたか。。魂が抜ける(笑)


蹴っ飛ばされただけでは簡単に死なない強さも兼ね揃えられたと思います。


図太く生きる強さも身についてしまいました笑い泣き


母には絶対敵わないけれどネガティブ

結構な勢いで母の人生過酷だったなと、今になって思います。

老後はゆっくり休んでほしいのだけど、なかなかですね。。


少しでも心と体を休めさせてあげられるように、またしっかりと進んでいかねばと思います。


父が見たくて仕方がなかった今日を、私はこれからも両手広げて精一杯生きていこうと思います。