私には小さなものから大きなものまで、色んな夢や希望がありました。
でも、これまでなかなか叶えられずにいました。
ラジオパーソナリティ
ヘリコプターにのる
クルージングをする
海外(スペイン、イタリア、タイ、サイパン、カナダ、台湾…)に行く
アパレルで働く
ケーキ屋さん、クレープ屋さん…
花屋さん
本の出版
結婚出産
看護師
屋形船に乗る
乳がんが私にくれたもの。
それは命には限られた時間があるということ
せっかく生きているのだから…
やりたいことには全力投球でいけ!!
と、そんなことを教えてもらったなと思っています。
とっかかり、入口があんなに難しかった『ラジオパーソナリティ』
そして手段や方法、金銭的な問題で難しいなと思っていた『本の出版』
結婚や出産。
今までの私には到底できないことでした。
そして一人では絶対に成し遂げられないことでした。
でもきっと執着してきたことだったんだろうな。
乳がんを患い、一番最初にした大きいことは…
地元のラジオ局に番組の企画書を何十箇所とFAXを送り始めたことでした。
明日生きられるかもわからない、そんなときに何やってるんだ!!と思うかもしれない
実際に言われました。
母に何をするつもりなの?何をしているの?と。
でも、それでもやらなきゃと思った理由は私はここにいるよ。確かに生きていたよと証を刻みたいと思ったからでした。
アメーバーブログもそうです。
とにかく私が生きていたことを記録しなきゃと思ったんです。
とてもやりたかった夢なのに、なかなかできなかった夢を乳がんが後押ししました。
死ぬかもしれないときに、やりたかったことを今更私は一気にやろうとしているのか…
そうでもならないと夢を叶いきれなかったのかと当時、私は今までとても勿体無い生き方をしていたなぁと思ってしまいました。
何をやるでもなくただ生活するためだけの仕事をし、やりたいこととはほど遠いことをやっていたのかと思い知らされました。
せっかく生きてるのだから、やりたいこと、やれよ!!と自分が情けなくなったのを覚えています。
それから私は猛スピード。
やりたいと思ったらどんなことでも必ずやり遂げる。
形にすることを「少しは」学びました。
上記に書いた夢でまた叶えていない夢や希望がまだほんの少し残っていました。
花屋さん
屋形船
看護師
看護師は乳がんを患ってからずっと温めていた大きな大きな夢。
しかし、資格が必要。
乳がんを患った当時、私はなりたいなーではなく、なればよかったなぁと思っていました。
もう今更遅いのかもと。
でもやりたいことに遅いも早いもない、完治させたら必ずと思っていました。
それから結婚出産を終え、長女が3歳になった頃、近くの看護学校のオープンキャンパスへ話を聞きに行きました。
次女が1歳になった頃、職場復帰の頃には
コロナが始まり、オープンキャンパスはネットでとのことで。。
資料をもらいにうかがったとき、社会人枠で受けたいことを伝えました。
4年前も、2年前も同じ回答が
今、通ってる社会人の方の中では小学校高学年のお子さんが1番の子供の最年少。
というのです。
1歳だとまだまだ手がかかるし、自分のことはできないし。。そう簡単に合格出来ないと思う、日中は勉強できても、夕方からは育児や家事にすべての時間を使うのでは合格できないと。
子育てがある程度落ち着いてからでも遅くないとのことでした。
そこから私はムキになってしまい絶対に看護師になってやると思っていました。
今度こそは絶対に看護師になると思いながら関東から引っ越しました。
旦那さんの実家に引き上げようが、自分の地元に引き上げようが絶対に看護師になってやる!と思っていたのでどちらの看護学校もしっかり穴が空くほど調べています。
だけど。。
夫婦ともども働いていないと考えるとこれ以上の金銭負担を家族に押し付けてまで自分はやりたいことをするのかと自問自答すると全く違う。
今は生活を立て直すことだと奮闘し、今の会社に潜り込んだのでした。
病院には看護師しかいないわけではない。
お医者さんや看護師の他にソーシャルワーカーや栄養士、カウンセラーや事務職員、技師、保育士に看護助手、作業療法士に。。薬剤師。。
昨年の出産時の入院をきっかけに、本当にたくさんの人たちが患者さんを支えているのだと知りました。
今までの入院では知り得なかったこと。
体調不良や生活面や生活環境の件で、入院時に色んな方々に関わり、こんなにもたくさんの人たちが病院で働いているのかと、とても驚きました。
恥ずかしながら知らなかった。
想像できませんでした。
はっきり言って40から学校に通って資格を取り45くらいから現場に出て。。。
そのためにたくさんのお金を使って看護師になるよりかは…
先ずは看護助手をやってみては?と複数の医療関係者からアドバイスをもらいました。
私はガンの患者さんのいる病棟で緩和ケアがやりたいという強い希望がありました。
最後に見る景色や最後にその人がこの世を卒業していくときに携わりたい。
少しでもリラックスして旅立ってほしい、そのお手伝いがしたい。不安を少しでも取り除くことができたら。。八つ当たりされてもいい、とにかくできることがあればなんでも。。と思っていました。
現役の看護師さんと毎回毎回話しているうちに整理がついてきました。
医療行為ができるかできないかだけで、看護師も看護助手も同じ現場にいるから患者さんに寄り添うことはいくらだってできる。
そもそも私は医療行為がしたいわけではない、ただ患者さんの心に寄り添いたい…
あれ?調べてみるとどちらかというとカウンセラーなの?でもカウンセラーだけとはまた違う。
看護助手のお仕事に近いのではないかな?とのことで調べてみると。。看護助手が一番近いのかもしれないなぁと思いました。
この数ヶ月でいろんな事が整理できました
やりたいことを話してみると、いろんな反応が返ってきて目からウロコの考え方でたくさんの刺激とヒントがもらえました!
今のお仕事もとても大事なお仕事。
暫く観察しながらやりたい病棟の看護助手の募集を待ちながら、機会があったときは思い切って挑戦してみてもいいかもしれないと思っています
少し視野が広がったなと、思います。
私にとって乳がんは、生き方や考え方、価値観を変えてくれたとても大事な経験となっています。
今は一時的に助かったたけで、これからもとてもたくさんいろんなことが起きると思います。
誰しもが限られた人生。
その中でどれだけ悔いのないように生きられるか。
いつだって悔いまみれかとはおもいますが、
「これで良かったんだ!!そうしててよかったんだよ!楽しい人生だったよなぁあ」
に近づけられるように、これからもがむしゃらに生きたいとおもいます。