私の父は肝臓癌で、私が中学生の頃に40代で亡くなってしまった。
父の誕生日に父は亡くなった。
息を引き取る瞬間は今でも鮮明に覚えている。
祖父母は自分の子供を失ってしまった。
まるで想像がつかない。
自分の子供を先に亡くす気持ち。
父が亡くなってから10年後に今度は孫の私に乳癌が見つかる。
しかも細かな検査でわかったことは遺伝性のガンということだった。
元々細胞に傷ついて生まれてきてしまったというのだ。
母にはもちろん、祖父母に申し訳ない気持ちと、八つ当たりができない、どこに当たればいいのか、むしゃくしゃした気持ちがいっぱいでなかなか気持ちに整理がつかないでいた。
食生活が原因なら改善していた。
肥満が原因なら死物狂いでダイエットしてた。
もう、遺伝子レベルで傷ついて生まれてきたと言われてしまうと、どうしょうもないじゃないか。
自分でどうにかできることではない。
遺伝性のガンだったと知った祖父母は言葉を失っていた。
いろんなことを話してくれると思っていたけど、重たい空気が流れてしまった。
祖母はとても明るくてよく話すタイプ。
戦争のお話をよく話してくれたのだが、空から降ってくる弾が私を避けた。
死神にも嫌われているとよく笑って話していた。
若い頃から幾度となく癌を繰り返していた。
それでも死なせてくれないさぁと笑っていた。
その祖母が一瞬言葉を失うなんて想像もできない。
重たい空気の中なんであんたが乳ガンになるかな。嫌なものは全部私にくっつけばよかったのにと言った。
そんなことを言わせてしまった。
心がギュッとなった。
ごめんねがたくさん心を埋め尽くすんだよ。
ものすごくつらい時間だった。
元々口数が少ない祖父は珍しく
あんたはガージュー(気が強い)だから大丈夫さぁ。
だから絶対倒せるさ!おじいちゃんも乳がんのことについて調べてみるさー、大丈夫。
とポンポンと肩を叩いてくれた。
祖父は私の父親代わりのような存在だ。
たくさん喧嘩もした。
反抗期のときは何度喧嘩したかわからない。
風邪を引いたら何で子どもが風邪ひくの?暇なのかー?という祖父だ。
いつもものすごく厳しい祖父が珍しく慰めてくれた。
祖母とも生まれたときからずっと一緒に過ごしていた。両親共働きで毎日祖父母の家に帰宅し、毎日放課後も市場に出かけたり、色んなところに行った。
大学生になっても続いていた。
関東に上京してからも、地元に帰ると、いつも必ず真っ先に祖父母に会いに行った。
そのくらい、私にとっては大事な大事な家族。
その家族を傷つけてしまった。
なんでこんなことになるんだ。
ガンをこてんぱんにぶっ潰してやる
どこに当たればいいのかわからないこの気持ち。
とにかくガンを倒すしかない。
そう思った。