細胞診で悪性腫瘍との結果が出た。
若いというだけで転移スピードが早いというのだ。
私の場合は、ゴルフボール位の大きい悪性腫瘍がリンパ節を包み込むように存在しているとのこと。
症状や癌の種類によって治療の仕方や薬は人の数だけあると思って下さい。
周りと比べて不安にならないこと。
不安のあまりインターネットで調べると不確かな情報が溢れているから不安を煽るだけだから検索しないでよ〜。必ず治しますから!出来ることは全てやりましょう
先生の優しい言葉がたくさん並んでいた。
私は既に結果が出るまでの数日間、インターネットや図書館、ありとあらゆる方法でたくさんの不確かな情報を収集済みだった。
だめにしてしまった赤ちゃんをどうしても取り戻したかった。
それが1番譲れない想い。
大体は抗がん剤や放射線治療から行うことが比較的多い。
私の場合はあまりにも大きい腫瘍と若さや癌の種類からとにかく転移しているであろう癌細胞を最小限にとどめることが最優先というのだ。
抗がん剤で全身転移をとにかく最小限に抑え、なるべく小さくした腫瘍を手術で部分摘出し、それから放射線をすることになった。
その日からホルモン剤の服用も始まるとのことだった。
抗がん剤…
服用することで正常な細胞も破壊する。
破壊された細胞はどうなる?
若いから転移が早いということは、薬もそれなりに強いのでは?
抗がん剤を投与されては私の子宮はどうなるのか。
子宮もさることながら、私の赤ちゃんはちゃんと戻ってきてくれるのか。
不安をたくさんぶつける。
直ぐにはい!よろしくお願いします!とは言えなかった。
先生に「赤ちゃんが欲しいので抗がん剤はできない。私はまだこんなに若い、結婚もしたいし赤ちゃんも欲しいし、こんなに危険なことは絶対にできない。抗がん剤はやりたくない!」と話した。
主治医はそんなことを言っている場合ではない。一刻も早く、今日からでも抗がん剤をやりたいくらいなのに。もうそんなに待つ時間はない。
先生らしく言葉を選びながら話してくれている。
私はそれでも引けずに何度も思いを伝えた。
後ろで暫く私と主治医のやりとりを聞いていた母の声が聞こえた。
あんた先生の言ってること意味わかってる?
口出ししないで。
私の身体は私が一番わかってるんだから!
絶対譲らないからな!と引かないつもりでいた。
「いい加減にしなさい!先生の話の意味わかる?今はあんたが助かることが一番大事!あんたが助からないと赤ちゃんも産めないに決まってるでしょ!!そんなこともわからんのか、そんなこと言ってる場合ではないとさっきからいってるでしょーが!」
全く言い返せない。
そうだ…
私が居なくなってしまうと、赤ちゃんが戻ってこられないんだ。
戻ってくる場所が無くなるんだった。
私はそんな当たり前のことにも気が付かなかった。
それでも今の私にとっては自分の命と同じくらい、将来赤ちゃんに会うことは大事だった。
戻ってくる場所をまもるために、赤ちゃんが返ってくる可能性があるのならば、可能性を最大限に使いたい。
先生。出来るだけ子宮にダメージを与えないようにする方法、何がありませんか?
〜つづく〜
ブログや日記を読み返し、当時の事を振り返りながら1冊の本にまとめました
14年も経つと、あんなに大変だった事も、細かい部分は忘れかけているんだなぁと思います
当時を思い出すことによって、その時感じていた事を思い返すことができています。
忘れかけていた大切な事も再確認できました。
ブログと本とでは書き方が全く違いますが、是非機会がありましたら手にとってご覧いただけると嬉しいです。
ただただ本を買ってほしいのではなく、現在闘病中の方や、明日が見えない方、不安な方、とにかく苦しいと思っている方に読んでほしくて、近くの病院に声をかけて置かせてもらおうと動き始めています。
amebloを通して沢山の方々に私は生きる希望やエネルギーをもらいました。
今でもとても感謝をしています。
今度はその分、誰かの力になれるといいなと思っています。
少しでも私の経験が誰かの明日への希望に繋がりますように。
そんな思いで魂を込めて言葉を紡ぎました。